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    『ゲド戦記』考察
    e0039500_2151415.jpgようやく何かと騒がれているジブリ最新作『ゲド戦記』劇場鑑賞してまいりましたので、ここで少し考察をしてみたいと思います。結果として、不評をかってしまっているメカニズムが曲がりなりにも検証されていればいいかなと。きっと長い記事になってしまうと思いますが、気長に読んでもらえると幸いです。

    まずは印象・感想から。
    久しぶりに劇場にメモ帳・ペンを持って映画鑑賞をしましたが、「何してるの、この人?」という痛い視線にもめげずにポイント、ポイントは押さえて参りました。観終わってまず、抱いた感想は、「宮崎駿氏が立腹するのに合点」ということですかね。決してマイナスな思考で観たわけではないんですが、少し寂しい出来ではありましたかね。それもこれもやはりジブリ作品という強烈なブランドイメージとの差異がそうさせるのでしょうね。

    そして、次にこの作品『ゲド戦記』に対する問題提起をしたいと思います。最終的にここに帰ってくると思うのですよ、どういう分析をしようとね。そしてこの問題提起は今後のジブリブランドと今回初監督をした吾朗氏への問いかけにもなると思います。

    それは、
    「この作品がジブリ作品として枝分かれの一作となるのか、もしくはただの脱線なのか」ということです。この位置づけの仕方によって、最終的な評価が大きく変わってきてしまうように思いますね。ただ、今回この考察記事でその答えを前提にすることはしません、むしろ問題提起のままという姿勢で行きたいと思います、なるべく中立的な立場でしたほうがこの記事を読んでくれるみなさんに核心に触れてもらいやすいかな、とも思いますのでね。

    さて、最初にまず前回鑑賞前に疑問点を「寸感」として書いた記事に対するすり合わせからしてみようと思います。興味のある方はそちらから読んでみてくださいまし。(前回記事:『ゲド戦記』寸感

    疑問点①
    「ジブリアニメ作品=宮崎駿作品という強烈なイメージとの誤差」

    これは最初に述べたように、作品全体のイメージとしてこれまでのジブリ作品の持つ世界観や表現手法、それを体現する重要な要素等を見てみると、「誤差は小さくない」と言わざるを得ないでしょうね。問題提起の部分にも関わってきますが、世界観、表現、ジブリ作品要素もしくはブランド要素いずれをとっても、逸脱しております。では、どこが、どう、という詳細部分は以下で述べたいと思います。

    疑問点②
    「主人公と配役」

    ここにも重要な逸脱がありました。これは作品の物語の部分と大きく関わってくるので、詳細分析は以下で行いますが、配役の構造は180度異なると言えますね。

    疑問点③
    「シュールかつ内省的な精神世界感とナラティブ構造」

    この疑問点に細かく応えることが、きっと考察のメインになるのですが、決してシュールでもありませんでしたし、内政的な精神世界表現が強調されているというわけでもありませんでした。ただ、ナラティブの構造、ここを紐解いていくと、疑問点①へ帰るということになりますかね。この疑問点に関しては個人的予想とは少し誤差が大きかったように思います。

    前置きが長くなってしまいましたが、映画の中身、概して物語・ナラティブ構造を中心に細かく考察してみたいと思います。


    Intermission
    e0039500_17392530.jpg


    まず、これは映画の外、特に製作部分に関わってくる話ですが、アニメーション自体について少し。アニメーションの質というべきか、手法というべきか、表現方法というべきか、わかりませんが、とかく統一性がありませんでした。ある画はとても細かく、そしてある画は「ナウシカ」時代を思わすような平面的なで簡素な画。おなじ人物や背景をとってもシーンによって違うのですね。たとえば、水関連の画。オープニングは非常に原始的で平面的な簡素なセルアニメーションの画。そして同じ海のシーンでも今度は明らかにCGを駆使した透明感あるきめ細かな3Dの画。もう一つ顕著なのは、背景もそうですね。基本的に、背景に関しては細かく描写された画が多かったように思います。しかし、これにもばらつきが観られましたね。キャラクターはともかく、背景などは視覚的な世界観を作るうえで重要となってきますから、ここの表現が統一されていないと、観る側はなかなか世界観を捉えるのに苦労しますし、無意識であっても情報は受けるわけですから、なかなか集中して自己を作品世界へ移入させてもらえないのではないでしょうか。そうすると、なかなか主観的に鑑賞させてもらえない、そしてより客観的に距離を置いて見ざるを得ない。客観的に観ると言うことは、えてして批評的な立場で見る傾向に至ってしまうのではないでしょうかね。これまでジブリ作品にどっぷりと浸かって見てきた観客にとっては突き放されるイメージや感覚があったのではないでしょうか。更にはすでに不評が飛びかってしまっている現段階でそれを予備知識に見る人たちはなお更ではないでしょうか。この画とその表現に統一性があったならば印象や作品イメージは大きく変わってくるのかもしれないな、と観出して数十分で思う、という体験でしたね。

    次に作品の時間的流れと空間について。Time and Spaceと呼ばれるやつですね。これも作品の物語世界観を捉えるためには重要になってくると思いますが、この時間と空間を把握するのが非常に難しい。時間の流れ自体は前後していないことはわかりますが、イベントからイベントまでどれくらいの時間が経っているのか、どう飛んでいるのか、など。空間も、点でしかなく、どれくらいの距離があるのか、同じ空間でも方角の感覚を非常に掴みにくい。これはエスタブリッシングショット、つまり空間を把握させてくれるショットに方向・方角性の統一がかけているために起こるのですがね。つまり、時間や空間を把握するための、記号もしくは情報が著しく欠如しているわけです。そこをある意味シュールと呼んでしまうとそれまでですがね、こうした時間や空間の連続性の欠如はやはり観るものの視点と感覚を遠ざけてしまうように思います。

    お次は、少し物語り・ナラティブ構造についてですが、まずは主人公にまつわる考察から。この作品の主人公は誰でしょう?誰がいるから物語が動くのでしょう?これに瞬間的に答えられる人がいるでしょうか?では、質問を変えて、これまでのジブリ作品で主人公を瞬間的に答えられない作品がありますか?この作品ではどう観てもこの人物が主人公という配役がなされていない。つまり、誰の物語であるのかが非常に分かりにくいわけです。強いて言うならば、3人居るといっても過言ではないでしょうね。もしくは3つの物語が重層的に絡んでいるとも言えるかもしれません。物語をぐいぐいと進めて行く、推進力になっている人物が居ないのですね。ジブリ作品の多くは『ラピュタ』然り、『もののけ』然り、『千と千尋』もまた然り、女の子が主人公でそれをペアになる男の子が存在するわけです。もしくはその逆というのもありますかね、『紅の豚』などはそれです。「ペア」、これが基本です。そのどちらかが物語りをぐいぐい進めて、ペアのもう一人はそれを助ける。時には進める手助けをする、時にはその一人が居ないと進まない。ペアのつながりが非常に強いからです。二人の主人公と言ってもいいのですが、少なくとも物語の視点はどちらかに依存するはずです。ところが、この『ゲド』では、この辺が判然としない。最初は男の子が物語を進めのかと思いきや、突然物語の推進力はこれまでのジブリ作品であったらサポート役のはずのおじさまに取って代わる。そして最後の最後にすべての物語の推進力は実は女の子であったりするわけです。これは、終わってみてあーなるほど、とはなりますが、観ている最中での感覚は、え?、の連続なはずです。ここにも過去のジブリ作品(主に駿氏の作品ですがね)とは一線を画すわけです。決して多重視点と主人公が悪いわけではありません、がしかし、これまでのジブリ作品というイメージと経験が邪魔になるのですね。3者の物語があるために、各々の物語のための因果関係が存在しますし、物語視点の切り替えがうまく行えない場合は、この因果関係の把握が難しくなります。今、誰の物語を語られているのか、どこで自分を作品内に投影させて感情を移入していけばいいのか、人物の物語に対する役割が変わるので難しいかもしれませんね。時には、主人公のように物語を進め、そして時にはサポート役になり、そして時には誰かの物語には誰かの存在は非常に希薄になってしまう、さぁ、これが作り手の意図によるものなのか、はたまた・・・。

    では、少し視点を変えて、上記の項も踏まえましてどういうところが、これまでのジブリ作品を受け継いでいるのでしょうか、そこに触れてみたいと思います。主人公の問題を抜くと、配役はかなり似ていますね。仮に、男の子と最終的にわかりますが女の子が主人公であったとしましょう。そのときにおじさまは主人公を賢く時には厳しく優しく導いてくれる仮初の父親的な像としてガイド役です。そしておばさまは主人公を時には温かく、時には力強く包んでくれる仮初の母親的な像としてバックアップ+癒しの役目です。後者はそう機能していますが、前者は主人公足りえてしまうために、必ずしもガイドに徹した役ではありませんね。言ってしまえば、売れる映画として不可欠な(擬似)家族もしくは(家族構成の一員が欠如した、たとえば母の居ない等の)家族とその冒険という柱は構築されるのです。

    さて、では、これを踏まえまして、少しジェンダーロール、つまり男性・女性の役割を考えて見ます。大抵のジブリ作品は(主人公である)女性が力強く、もう一人の主人公とも言える男性の後押しを受けて物語をぐいぐい引っ張って、最終的には断固たる決意の元に物語のカタルシスとも言える決断と行動をし、最終解決へ至る。これが、『ゲド』では必ずしもそうではない、むしろ逆転している、言い換えれば、古典的な男女の役割となっています。つまり、男は力強く、女はか弱く。これは物理的なものではく、精神的なところまで。特におじさま、おばさまの関係はそうですね。おばさまはすごく従属的。男の子と女の子もある意味そうです。男の子は男性の象徴的な剣を持ち、これに依存します。そして女の子はその男の子の救済となるわけです。大抵のジブリ作品は逆です。女の子がすごく動的・主体的・行動力(攻撃性)が高い。そして男の子は最後の後押し、救済となるべくその媒体・サポート役に回り物語が収束するわけだったりしますが、この辺は『紅の豚』に似ているかもしれませんね。はてさて、『紅』はジブリ作品でも売れた方でしたでしょう~か。

    e0039500_21482331.jpg


    それでは、また少し視点を変えまして、ジブリ作品が持つファンタジー性について。『ゲド』では、魔法という概念が出てきます。そして神話的な生き物『竜』なる生物も登場します。この両者を鑑賞前に聞いたとき、非常に(ジブリ作品として安心できそうな)ファンタジー世界を思い浮かべませんか?そして、それに準じたファンタジーの世界は構築されていたでしょうか。言い方を変えると、『ゲド』の中で不思議な現象ありましたか?非現実ということではなく、(畏怖にも似た)未知なる不思議な世界という意味で。この辺は作品が持つ物語のテーマ的な部分と非常に連鎖しているのですがね。不思議な物・出来事の肝がなかったように思われます。主人公がはっきりしない分、このファンタジーな世界もぼやけてしまったように思います。魔法の世界も、竜の世界も、生と死という混沌とした精神世界も、どれも物語の主役になりきれていないのではないでしょうか。これまで得てして魔法や不思議な現象は物語のカタルシスとして発生していますが、『ゲド』ではどこにカタルシスを求めてよいかがぼやけてしまっていますよね。それもこれも主人公の不透明さと物語の分裂によって起こるわけですが。魔法は、竜は、物語の最終解決となったのでしょうか?男の子の最終解決は?女の子は?おじさまは?世界は?

    それでは、もう少しテーマ性に的を絞ってみましょうか。ここは多少俗に言うネタばれになるかもしれませんが、あしからず。オープニングから暗いメッセージにも似た暴力的な描写から始まります。結果は判然としませんが、「暗い行為」から始まるジブリ作品がこれまでありましたかね。これまで凶暴性が全くなかったわけではないですが、『もののけ』のようにね、しかし暴力には理由がありました、そしてそれを観客は受容できるような形になっていました。それまでほとんど当て擦りもなく、ヒントも与えられず、突如として「個人が抱える死との対面」というテーマが浮上します、それも非常に直接的に、言葉によって。つまりセリフによって説明されて始めて、ああそうなのか、と合点が行くような形。あたかも我々に説明しているかのように。時間や空間が断絶してしまっているように、テーマも階段を上がるごとく構築されて浮き上がるといった形ではなく、断片的にかつ説明的に扉を開けて見せられるといった形で突きつけられます。テーマ性やメッセージ性を観客に唐突に投げるという行為はほとんどされて来ませんでしたよね。言い換えれば、そのテーマやメッセージに正面きって受け取らなくても作品の物語を楽しめるそういう因果関係や発展があったのですが、『ゲド』では、ある一つのテーマを完全に受容し消化をしようとしないと物語が帰結しない。これまではそのテーマやメッセージにある程度の解決が用意はされていましたが、それはそのまま主人公の問題と最終解決というところに結びつく必要がなかったのが、今回は主人公たちの物語の帰結や解決というよりも、メッセージやテーマに非常に直接的で分かりやすい白黒のついた解決を与えて物語の終わりという形をとっています。この辺にも、意識してもしなくても、違和感となって残るように思います。物語が波錠している、と言っているわけではないですよ、これまでのジブリ作品と比べたときに浮き上がる違いです。

    そして、それを踏まえてもう一つ。「死」に対する恐怖やそこからくる葛藤や苦悩、こういうものってどこまで若者に伝わるでしょうか。そういう恐怖や葛藤、苦悩といったものは、自分の肉体が老いていく歳になって初めて体感できるものではないかと思います。物語の最終解決として提示されるのが死に対するものであって、これを消化できなければ、またできない観客は完全に置いていかれてしまう様に思います。それ以前に提示されている「世の中?万物?の秩序の乱れ」ともつながりが薄いために、死もしくは死という観念に対する答えの提示が軽くなってしまい充分な落としどころになりきれていない感も否めません。よーく考えてみると、これまでのジブリ作品では子供でもわかる物語構造と大人がわかってくれればいい付加的なメッセージ性との二重構造が売りであったように思います。これが、『ゲド』では後者のみに特化されてしまった感が否めませんね。果たしてどこまで子供が追って楽しめる物語となっていますかどうか、これは子供に実際に聞いてみないとわからないのかもしれませんが。

    さて、そろそろまとめにかかろうかと思います。ここまで書いてみて、あらためて諸説紛々の根幹となっているのは、主人公の不透明さに尽きるのではないかということですかね。ここが定まらないので、物語の軸もずれる、焦点もぶれる、テーマもつながりきらない、こうしたこれまでのジブリ作品ではなかった内容となっていることに気がつかされました。これを踏まえた上で、あらためて『ゲド戦記』をジブリ作品の一つとして考えたとき、多くの要素や表現が異なることに気がつかざるを得ません。これまである程度一貫されてきたものが、突如そのラインからそれてしまった、逸脱していると言っても過言ではないでしょうね。これを故意に行ったのか、はたまた作り手の違いによる産物か、ここを見極めてみたいように思います。少なくとも、駿監督の専売特許的なものがこの作品からは消えています。意図的であるならば、登場人物のキャラクターやその描写はその限りではないのがまた不思議。あきらかにジブリ作品が描くキャラクター像がそのままそこにあるわけです。アニメーションに関しては映画の外、つまり請け負ったアニメーションスタジオ等の兼ね合いもあるのでしょうが、その辺はまた。

    e0039500_21485239.jpg最後に最初の出発点に戻ってこの考察のまとめとしようと思います。
    「この作品がジブリ作品として枝分かれの一作となるのか、もしくはただの脱線なのか」
    これですが、もう言わんとすることはお判りかもしれませんね。この作品を劇場で見ていて、これまで延々と↑に書いたようなことに思いを巡らせていたのですが、明らかにこれまでのジブリ作品から逸脱した内容と表現になっているこの作品、これまでのジブリ作品とは違ったもう一つの対極的な路線を打ち出したものなのか、それともただ脱線したものに過ぎないのか。前者であれば、非常に興味深く見守りたいわけですが、後者であれば初監督吾朗氏の行く末が案じられます。良くも悪くも、この作品はジブリというラベルが貼られてしまっているわけで、爆弾を抱えて走っている興業となっていますが、この疑問の答えとなるものが次の作品以降見えてくるものと思われます。そうした意味では、楽しみではありますけどね。


    Depper

    参照:
    http://kozoism.exblog.jp/3919793/
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    by corin_depper | 2006-08-20 21:51 | レビューと考察
    大人のジブリ
    e0039500_2344171.jpgジブリ特集みたいなブログになりつつありますが、シネマトゥデイでの記事が眼に留まり、考えさせられる部分があったので寸感です。

    最新作の『ゲド戦記』が戦々恐々とした興業となっている模様ですが、それでもジブリ自体は着々とジブリブランドの構築をしているのだなぁ、とある意味感心させられました。何がと言いますと、ジブリ美術館が夜間の一般開放を試みたということです。ターゲットをアダルト、つまり二十歳以上の大人に絞って、しっとりと美術館を堪能するという企画だったようです。この大人に照準をしぼる、という辺りにまたある意味納得したわけです。

    何が納得かといいますと、思い返せば『風の谷のナウシカ』以来ジブリ作品の歴史はもはや20年を数えます。つまり、『ナウシカ』もしくは初期の『となりのトトロ』くらいの年代の作品を少年・思春期に鑑賞をした年代の人たちは、もうとっくに成人をしているわけで、つまり親となっている世代でもあり、その子供たちがまたジブリ作品の人気を支えているというわけです。

    こうした20年という単位でジブリ作品とその根強い人気を鑑みた場合に、『もののけ姫』辺りからの興業的大ブレークはある意味納得できるものなのではないかなと考えるわけです。元々ジブリ作品を見て育った世代のその子供たちが親に連れられて映画館に行くようになってきた、その現象とジブリ鑑賞人口の増加が『もののけ姫』以降の大ヒットの大きな要因ではないか、と思うわけです。

    そして改めて、そのジブリに愛着を感じて親となっている世代に向けて、美術館もそれなりのサービスを始める。この辺の嗅覚にも感心しますが、ブランドイメージを保つ意味でも非常に大事なことだと思いますし、そういうバイタリティを持っているジブリブランドは今後もそうそう没落はしないだろうな、と思わされますよね。まぁ、作品的にも転換期に来ていることは否定できないでしょうけどね。

    これで、日本国外の観客に対して同じようなブランドイメージ構築の戦略を始めたら、これはディズニーを凌ぐモンスタースタジオになる、そんなことも全く夢ではない気がします。とはいえ、ジブリ美術館にインターナショナル客向けの言語解説がないようなので、まだまだアンテナは国内のみに低く向いているのかもしれませんけどね。とはいえ、ここイギリスでもジブリ作品のDVDが出揃い、今週はケーブルチャンネルのFilm 4でジブリ週間と称し主要作品を連夜放映しているようです。国内からはすこし遅れても、2世代にわたるジブリ作品観客層が国外で出来上がるのも時間の問題かもしれませんね。

    と、どこまでも話が飛び火してしまいそうなので、今回はこれにて。
    Depper


    参照:
    超レア!一夜限りのアダルトな「ジブリ」は大盛況(シネマトゥデイ)
    ジブリ美術館 ホームページ
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    by corin_depper | 2006-08-13 02:59 | Newsアーカイブ
    『ゲド戦記』寸感
    e0039500_13351889.jpg先日公開された新作ジブリ作品『ゲド戦記』が余り好評ではないようですね。ざっと一般の反響をネット上で垣間見たところ、なぜ余り好評となっていないのかそのメカニズムが見えてきた気がしたので寸感です。傾向としては、物語、つまりナラティブが分かりにくい、というところでしょうか。もちろん私は未見なので、実際のところは把握しかねます(よってこの記事はレビューや評ではないです)けど、映画の外から見えてくるものを少しばかり。現代(商業)映画批評をする上で映画の内容から外に出た、つまり外郭となるイメージを検証するという作業は映画研究において近年大変重要視されているので、半ばその実践例となれば幸いです。

    ①ジブリアニメ作品=宮崎駿作品という強烈なイメージとの誤差

    これが第一に来るのではないでしょうかね。もしかすると、これに尽きるかもしれません。分かりやすいメッセージ性と物語り進行、それに加えて思春期を迎えた女性の主人公が抱える葛藤とその解決、そしてそれが空であったり、異世界であったりとうまーくファンタシーコーティングが施される宮崎駿監督作品とのギャップが『ゲド』にはあるのではないでしょうかね。いわゆるこうした宮崎駿氏が作り上げてきた「ひな型」を世襲していないであろうということが伺われますね。ここを出発点として、次にいくつか派生するものを以下に。

    ②主人公と配役

    見たところ、主人公は男性。そしてそこに絡んでくるのも男性のキャラクターのようです。そこに女性のキャラクターはいかに関わってくるのでしょうか。お決まりの従属的役割しか与えられていない場合、感情移入ができない観客層は増えてくるのではないでしょうかね。個人的には、擬似家族のような配役構造になっているかも注目してみたいと思っています。

    ③シュールかつ内省的な精神世界感とナラティブ構造

    いわゆる、階段を一歩ずつ上がっていくような、一つ一つ問題をクリアしながら主人公が成長をしていくような、そして最後にはさわやかなリデンプションが待ち受けているような、そんな物語進行と構造をしていないのではないでしょうか。主人公のよどんだ内面であったり、葛藤がさしたる解決を見ないうちに、あちこちに流れ着くまま進行ではなく停滞するような、そんな構造をしているように思われます。得てして、こうしたナラティブ構造の映画をうまく消費できるような観客層が(特に日本では)少ないのではないでしょうかね。それに加え、ジブリアニメというステレオタイプとも反駁してしまうのでは、やはり苦しいレセプションとなるのは必然なのかもしれません。

    総評として、つまり、多くの観客が抱く、ジブリアニメに対する「予期・期待」にそぐわない作品となっていること、それをいい意味で裏切るという形で受容されていないという点に尽きるのではないでしょうか。最初から宮崎吾朗氏はこうした固定イメージとの戦いを強いられていたわけで、もともと爆弾を抱えていたわけで、もし、これまでのジブリアニメの「ひな型」からの脱皮と自己の作家性の主張に重きを置くのであれば、大変険しい道のりとなるでしょうね。逆に、もしかしたら、彼がジブリアニメのもう一つのイメージや「型」を作り出すのかもしれません。その結果はこれからの推移を見守るしかないでしょう。

    さて、この『ゲド戦記』どこまで興行を伸ばしますかどうか、見守ってみたいと思います。「良い/悪い」で二極化されてしまいがちな日本の映画評が多い中で、果たしてどこまで出だしの不評を挽回できるでしょうかね。上記した項目のような部分を分析したようなレビューや映画評が上がってきてくれるといいのですがね。不評を見るに付け、余計に見る気を刺激されたわけでした。見る機会があったらぜひレビューと今回の上記寸感とのすり合わせをしてみたいと思います。
    Depper

    参照:
    http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail/tymv/id324031/

    http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/ff20060728a1.html(Japan Times)
    http://www.yomiuri.co.jp/dy/features/arts/20060729TDY15002.htm(Daily Yomiuri)
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    by corin_depper | 2006-08-02 14:11 | 雑記
    東京国際映画祭が「コンテンツ祭」へ・・・
    まず衝撃の記事の参照URLを先に。
    http://www.asahi.com/business/update/0711/137.htm(Asahi.com)

    ↑の参照記事へ飛んでもらうとわかりますが、タイトルにもあるように、「映画祭」が「コンテンツ祭」へと変容するようです。個人的には「映画祭」という形態が終わりを告げることに、いよいよか・・・という思いであり、「コンテンツ祭」という変容の仕方に、そう来たか・・・という感慨です。これが経済産業省という官主導によるコンテンツ事業界を巻き込んだ転換であるというところがキモですね。

    映画界からすれば一大事ですが、コンテンツ界からすれば願ったり叶ったりでしょう。なぜこういうことになるのかといえば、記事にもあるように、東京国際映画祭は国際的知名度が低い、いや知名度というよりは、映画祭的な価値が低く見られていました。その要因は、商業PRに特化されつつあったからです。映画祭に集まる映画は商業的PRという大きな側面に期待するところは大きいのですが、あくまで欧米のそれと鑑みたとき、あくまで側面なのです。まぁ、映画祭にてその映画の知名度を上げてより多くの国へと流通を広げるという意味では、その結果として付いてくる興業は大きな産物です。しかしその知名度や映画作品の持つ魅力などは、商業的価値判断のみで測られているわけではありません。そこに映画祭の映画祭たる所以があります。この意識が東京国際映画祭(TIFF)には欠けているように思っていました、それがゆえに映画祭自体の認知度も国際的に上がらなかったのではないかと考えています。

    映画祭で伝書鳩の役割を果たす各国の映画ジャーナリストの扱いをみていてもそうです。字幕のない映画の上映、彼らのための鑑賞シートの不足、多くのスクリーニングでは空席が目立つと言います。その空席はスポンサー側やいわゆる政治的有力者へとあてがわれているようですが、彼らは実際のスクリーニングには来ていないのです。それを目の当たりにするジャーナリスト達が各々の国へ何を持ち帰れというのでしょうか?不満と徒労感といったところでしょうかね。例えば、昨年のロンドン国際映画祭において、まだ研究者としてひよっこの私が研究のためにその映画をぜひ見たいといえば、映画祭スポンサーで、かつ配給会社である(産業側の)人が、自社の持つ特等席を譲ってまで招待してくれたりするわけです。改めて映画祭は「製作・配給・上映・そして鑑賞者」この四身一体のお祭りなのだということを再認識するわけですが、TIFFの審査委員の面々を毎年チェックしますと、産業からの選出ばかりでジャーナリストや批評家、学者、そういう「観る」スペシャリストはあまり見かけません。このアンバランスが映画祭の綻びとなると予期するのは難しいことではありませんでした。それ故に、とうとうそうなってしまったか、という思いです。

    一方で、ゲームやアニメ、漫画などのいわゆるコンテンツ産業は映画を凌ぐ規模であるというのもまた事実です。これらが国際的な催しの中で世界にその存在を発信できる機会と捉えれば願ったり叶ったりというところでしょう。事実、映画は既に古来の「製作・配給・上映」という確かな三段論法は崩れてきており、ゲーム界やアニメ・漫画界との刷り合わせを始めているというのもまた事実。つまり、そこに集めるコンテンツの展覧会、そしてその商業的PRの場というところに特化するということであれば、今回の変容は合点の行くものだと思います。裏を返せば、東京国際映画祭は映画祭としてではなく、国際的展覧と商業PRの特化を目的とされていたことがわかりますね。そして、それを政府が促進するわけで、もちろん商業的発展を目的に。文部科学省などではないところがそれを如術にあらわしていますね。

    とはいえ、今までTIFFの欠如している側面を補うかのように行われていた「東京Filmex」という欧米のそれに近い形態の映画祭の真価が問われるようになるでしょうし、映画関係者(産業側に属さない)たちの拠り所にもなるのではないでしょうか。ジャーナリスト達の間では、むしろこちらの方が映画祭として評価をされていましたしね、元々。個人的にも頑張ってもらいたいところです。

    さて、これから日本の映画界はこれからどうなっていくのでしょうね。このまま産業・製作主導で形成されていくのでしょうか。それが日本映画界の独自の顔となるのでしょうか。そして、実際の映画の評価は国外で、国内では消費だけが目的となってしまうのでしょうか。目先の消費と産業としての繁栄も不可欠ではありますが、それだけでは自転車操業的日本映画界の体質は変わらないでしょうね。日本映画百年の計を模索する人物はいないのでしょうかね。文科省の巻き返しに儚い期待をしたいところですが・・・
    Depper


    日本で頻繁に使われる「コンテンツ」という言葉と括りはどうしても好きになれません・・・。
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    by corin_depper | 2006-07-13 00:13 | Newsアーカイブ
    映画『デスノート』と映画興行
    e0039500_3513522.jpg先日読んだウェブ記事で映画『デスノート』の好調な興行と斬新なマーケティング手法が行われることを知りまして、思うところありなので記してみます。

    基本的に2点。
    『デスノート』だけではないですが、最近日本のメディアは映画の興行成績を売り上げ、いわゆるBox Office Revenueではなく、観客動員数で示すことが多いですね。この記事で言えば公開1週間で70万人の動員数ということですが、この数字でどれだけ好評なのかがピンと来ないのは私だけでしょうかね?日本は前売りチケット、いわゆるアドバンスドチケットという形態があるので、単純に動員数x正規チケット代では売り上げを推測するのは難しいと思われます。動員数を前面に押し出すのはそれなりの効果あってのことだと思われますが、興行売り上げを出す以上の効果がどう違ってくるのかを知りたいところです。業界内では根拠があるんでしょうかね。

    もう一点は、本編(一部)をテレビ放映するということですが、これにもいささか驚かされました。私も公開中の本編をテレビで見たという体験はないですが、どのような目算でこういう手法に踏み切ったのか気になりますね。通常は、劇場用TV用予告編、つまりトレーラーと呼ばれる宣伝用に作られた本編の一部の切り貼りであったり、TVでは特別に番組を設けて、もしくはその他の番組と抱き合わせで、公開中(前)の映画のメイキング(製作風景やインタビュー)映像を流すという手法だったりするわけですが、今回は劇場で流れるものと全く同じものが最初の10数分流されるというものです。それを観て、劇場へ足を運んで、既に見たオープニングをまた観るという作業はどんなもんなんでしょうかね。個人的にはやや敬遠しますが。映画の最初の10数分はその映画多くを物語るものだと古くから言われていますし、またそうだと思います。その体験を劇場外でしてから続きを劇場で鑑賞ということになるわけですが、果たしてどのような結果になりますやら、興味があります。記事には、原作の漫画になじみのない観客層を取り込むのに一役買うとありますが、果たしてそうなりますかどうか。

    個人的に映像化するには面白い作品だと思うので、映画前後編見てみたいですね。

    Depper


    参照:
    エキサイト : 史上初!公開中の映画「デスノート」テレビでオンエア(サンケイスポーツ)
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    by corin_depper | 2006-06-27 04:09 | Newsアーカイブ
    『ナルニア国物語』日本配給のやり方
    e0039500_1932452.jpgと、銘打ってみましたが、気になっていたのは日本での公開時期。

    ほとんどですね、世界の主たる配給網からみるとなぜか今回蚊帳の外だったのが日本。遅いんですよ、すごく、公開が。例えば、ハリウッド主導、今回はディズニーです、であればほぼ同時公開というのが常なような気がしますよね。実際こちらイギリスではほぼそうでしたし。こちらではほぼ公開が終了しつつあるわけですが。

    これまで、ディズニーは『ファインディングニモ』、つまりピクサー社と手を組んでようやく日本で納得する興行があったわけですが、これまでは世界的な興行となったあの『ライオンキング』でさえ、日本では低調といわざるを得ない状況でした。それが近年の実写ファンタシー映画(実際にはCGだらけですが)人気に追随するべく、ディズニーが満を持して送り込んだこの『ナルニア』なわけで、もちろんそれなりの興行をもくろんでいるはずです。それが、世界第二の映画興行収入源である日本になかなか配給しなかった・・・。どういうつもりなのかな、と思ってはいたんですよ。

    今回のニュースとその興行成績の出だしを見て、「あー、なるほど」と少し思ったわけです。つまり、「焦らし作戦」だったのかな、と。『ハリーポッター』シリーズしかり、『指輪物語』シリーズしかり、日本では得てして利潤の高いファンタシー映画ですが、この人気をあえて逆手にとって、強気の先送り作戦だったのかなと思いますね。世界中でヒットと呼ばれた作品、しかも注目度の元々高く、メディアへの露出も高かったこの映画に対する観客の期待を最大限焦らすことで、爆発につなげるという意図があったのではないでしょうかね。もし、マーケティング作戦だとしたら、ディズニーしてやったりじゃないでしょうか。あとは、年末に出揃う大作との競合を避けて、安全策で売りに来たという見方もあるかと思いますが。

    これで、ディズニー映画は路線的にも興行的にも日本マーケットでは少し脱皮するのかもしれませんね。
    Depper

    公式:
    ナルニア物語公式ホームページ
    参照:
    「ナルニア国物語」驚異の出足…興行収入150億円が見えた/サンケイスポーツ
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    by corin_depper | 2006-03-05 19:32 | Newsアーカイブ
    2005年度日本映画産業統計出る!!
    「出る!!」ってほど大したことではないかもしれませんが(笑)、昨日、年に一度の日本映画産業統計発表が日本映画製作者連盟により行われました。同じく昨日発表されたアカデミー賞候補作リストも気になるところですが、日本でどんな映画が売れたのか、見てみようじゃありませんか。2005年度の興行収入トップ10(洋画・邦画合わせて)は以下のとおりになっております。数字等もっと詳しいデータを見たい方はコチラでお確かめくださいね。

    1. ハウルの動く城
    2. ハリー・ポッターと炎のゴブレット
    3. スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐
    4. 宇宙戦争
    5. チャーリーとチョコレート工場
    6. Mr.インクレディブル
    7. 劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション
       /ミュウと波導の勇者ルカリオ

    8. オペラ座の怪人
    8. 交渉人 真下正義
    10. ターミナル

    ※8位は2作品とも興収42億円。

    さてさて、これは1997年以降続いている現象なのですが、また2005年も日本の興収トップ10の60%以上(10本中6本以上)をハリウッド映画が占めました。ランクインした洋画について言えば、2004年度の全米興収で63位にとどまった「オペラ座の怪人」、やはり日本で強かったようです。食い込んだ邦画はというと、米国アカデミー賞長編アニメ部門へのノミネートが決まった「ハウル」、「ポケモン」、そして「真下」。「ジブリ」、「TVアニメ」&「TVドラマ」の映画化といったとこでしょうか。「真下」に関しては、「TVドラマ」が映画化された映画の映画化とも言えますが。

    う~ん、邦画って、「ジブリ」か「TV」しかないわけ??って感じもしますが、トップ10の構成に目立った変化はないものの、実は2005年の邦画公開本数は356本なんです。この増加は注目に値すると思うんですよね、個人的に。ちなみに去年は310本でした。350本台に邦画の公開本数が戻ったのは、実に1976年以来29年ぶり。まあ、500本程度が当然だった1960年前後に比べれば、全然かなわない数字ですがねぇ…。このまま邦画が伸びていくのか、それとも…??今年も映画産業の動向が楽しみであります。

    邦画と同じく洋画の公開本数も伸びてますが、興収の合計は前年よりダウン。まとめると、「2004年よりいっぱい公開したけど、2004年より儲けられなかった2005年」、ということになります。あえて言えば、トップ10のなかにTV絡みじゃない日本の「映画」が入ってくれてたら嬉しかったんですがねぇ。

    Corin

    参照:
    日本映画製作者連盟(映連)
    日本映画産業統計/最新映連発表資料(2005年)
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    by corin_depper | 2006-02-01 01:37 | 雑記
    『ロッキー・バルボア』製作への驚き
    スタローン、「ロッキー」シリーズ第6作制作へ[ 10月18日 ] ロイター
    ロッキー第6作を製作へ 59歳、スタローンさん主演[ 10月18日 ] 共同通信

    e0039500_228106.jpgまず驚きを込めて「Are you serious?!」と言ってしまいたい。そしてMGMは頑張るな、と思う。とにかく、『ロッキー』シリーズ人気は下降線の一途だったから。そして前作から既に15年が経過して、ロッキーは還暦間近(苦笑) 記事によれば、タイトルマッチへ挑むらしい。話の現実味云々ではなくて、それをロッキーとしてやる場合に果たしてどれだけ魅力が出てくるのかなと思う。少しおさらいしつつ、展望を。

    前作では1990年時で既にアメリカ本土で約4千万ドルしか興行成績が伸びていない。どのくらいの制作費で作るのかは不明だけれど、きつそうだ。米国外の収入で約8千万ドル稼いでいるのでトータルでは悪くはないのだろうけど。そうするとやはりお目当ては米国外への配給・興行という、シュワルツェネガー映画みたいな図式になるのだろうか。

    もう一つは、『ミリオンダラーベイビー』や『シンデレラマン』といったボクシング映画リバイバル風潮へ便乗しようという感じが否めない。米国で『ミリオンダラー』で約1億ドル、『シンデレラマン』で6千万ドルという成績。つまり、批評界や巷は賑わしているが、それほどボクシング映画が売れているというわけでもない。よほどこれまでのロッキーにない売りがないとこれもきつそう。しかし、ロッキーという時点で相当予定調和が予期されるだろうから、それをうまく破ることができたら希望が持てるか、というところか。

    前々からそういう感じにはなってきていたが、今作品は脚本・監督・主演をスタローン氏ということらしい。これなどは、クリント・イーストウッド氏と『ミリオンダラー』とダイレクトに比べられてしまう可能性が高いので、結構博打というか挑戦というか、ダイジョウブかな。。。しかし、相当『ロッキー』の私物化というべきか、どこぞの国のダイエーのようにならなければいいが。もしかしたら相当スタローン氏当人が製作資金を受け持つのかもしれない。

    頑張れ、還暦間近のロッキー・バルボア。
    エイドリアン・・・。
    Depper

    参照:
    ロッキー6製作!スタローン“還暦リング” [ 10月19日] スポニチ
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    by Corin_Depper | 2005-10-19 03:02 | Newsアーカイブ
    全米興行収入8月12-14日を少し考える
    以前Corinが全米興行と↓の表で4位にランキングされている『Weddeing Crashers(ウェディングクラッシャーズ)』の記事を投稿していたので、続報として少し考えてみる。

    順位                          興行収入
    1.   Four Brothers ---------------2070万ドル
    2.   The Skeleton Key--------------1580万ドル
    3.(1)The Dukes of Hazzard------------1300万ドル
    4.(2)Wedding Crashers--------------1200万ドル
    5.   Deuce Bigalow: European Gigolo--------940万ドル
    6.(3)チャーリーとチョコレート工場---------730万ドル
    7.(6)皇帝ペンギン-----------------670万ドル
    8.(4)Sky High-------------------610万ドル
    9.(5)Must Love Dogs----------------460万ドル
    10.   The Great Raid----------------340万ドル
    [ロサンゼルス 14日 ロイター]

    e0039500_8195535.jpge0039500_8201788.jpg『Wedding Crashers』が前週2位から4位に下がるもいまだ健闘中。やはり注目は上位2作品。『Four Brothers』はドラマミステリーでかなり低予算で作られている模様。全米での総興行売り上げが落ち込む傾向の中で、何百億という大予算で製作された映画が軒並み伸び悩んでいる感があるが、Four Brothersのような低予算映画の興行が伸びると、これから低予算・高収入の映画作りが今一度見直されるのかもしれない。コメディなどは比較的低予算で比較的安定した興行を上げるジャンルとされていたが、ある意味『Wedding Crashers』はその枠を飛びぬけた例だろう、既に今までの興行成績が1億6千万ドルを超えている。いわゆるBlock Buster(大ヒット)映画の仲間入りだ。

    初登場2位に入ったのはThe RingThe Ring 2の脚本家Ehren Krugerが脚本を書いたケイトハドソン(Kate Hudson)主演のThe Skeleton Key(スケルトンキー)』。先日ロンドンでも劇場公開されていたが見ずじまいで帰宅・・・Or2 これまたホラー・スリラージャンル映画だ。この時期にリングの看板背負っての公開なのでよっぽどのことが無ければ無難に興行収入を伸ばすと予測される。
    e0039500_8245823.jpg

    そして最後に個人的に着目するのが皇帝ペンギン。セミドキュメンタリー映画でここまでの興行収入は大健闘というところだろう。配給国によってナレーションや吹き替え形態も違うようだ。ぜひ見て見たいところだが、イギリスでは現在劇場公開されていないようだ・・・残念。現在これまでの興行成績が3千7百万ドル。ここからどれくらい伸ばすのだろうか。日本の成績と比べてみるのも面白いかもしれない。
    Depper


    参照:
    USA Weekend Box-Office Summary

    参照記事:
    Excite エキサイト : 全米興行収入トップ10
    Excite エキサイト : 全米興行収入、「Four Brothers」が初登場首位

    参照ブログ:
    見てから読む?映画の原作

    公式:
    『The Skeleton Key』
    『Four Brothers』
    La Marche de l'empereur(皇帝ペンギン)(アメリカ)
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    by Corin_Depper | 2005-08-16 08:45 | Newsアーカイブ