• 映画を少しばかり外から眺めてみるそのカタチ
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    『武士の一分』『硫黄島からの手紙』覚書
    また子無沙汰の記事投稿となりますが、先日『武士の一分』と『硫黄島からの手紙』を立て続けに見る機会がありまして、覚え書きとして書き残しておこうと思います。

    e0039500_1425868.jpgまず、『武士の一分』でありますが、三部作の三作目という見方をしますと、ある傾向が見受けられました。時代劇という映画ジャンルで見ますと、三作目は非常に古臭い時代劇のジャンルの雛形へ寄り戻っていくフレームワークとなっておりました。そしてドラマはと言いますと、非常に『寅さん』化をしている、つまりこれも山田洋二流という意味では古臭いドラマ仕立てへと立ち戻っていく、そんな姿に見て取ることができました。どこが、どのようにというのは、挙げだすと切りがないのですが、両者に共通するところをあえて挙げますと、登場人物達のアイデンティティと言えるのではないでしょうかね。その時代そのままの価値観しか持ち合わせておらず、もしくは、映画が進むにつれそういう方向へどんどんと流れていってしまい、現代人が同等に共感できるようなところが減り続けます。それを踏まえまして、当時の価値観の中での人情・人間模様がわかり易いメロドラマ的に行われるわけです。逆に現代人我々の目が向くところはテレビのお茶の間劇場にも似た含み笑い的描写ややり取りがあるところで、これが登場人物のアイデンティティではなく、しぐさや行為に、という点でこの作品に限れば面白いところかな、という感じでした。一言で三部作の三作目としてコメントするのであれば、一作目の『たそがれ』で構築されたフレームワークの柱を4,5本抜いた骨抜き平屋建てといったところでしょうかね。その抜け落ちた部分を細かに分析してみると更に面白い発見ができそうです。

    さて、次に『硫黄島』ですが、対になる作品『星条旗』をまだ見てないので比較コメントができません。が、しかし、戦争映画としては非常に優等生的にジャンルとしての雛形を使っているな、というのが第一印象でした。ただ、色やドラマのトーンを抑えているので、詩的ですね。批評家の受けは悪くはならないであろうということはわかりましたね。『武士の一分』にかけている一人称視点での物語り形式も行われていて、これもまたオーソドックスであり、かつグローバルな観客の鑑賞に堪えられる作りになっていますね。全体として、反戦一色ではない『シンレッドライン』に近い、ヒューマニティに対する問題提起的な中立的な描写に終始しているので、イーストウッドはやはりセンシティブな感性をもった映画作家であるという太鼓判のように映りました。このあまりに優等生なしあがりが賞レースにどのような結果をもたらすものか、楽しみですね。
    e0039500_14464827.jpg

    と、いったところで、今回はこれまで。また何かあればその都度書き留めたいと思います。
    Depper

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    by corin_depper | 2006-12-26 14:48 | レビューと考察
    『男たちの大和』レビュー
    e0039500_19384042.jpg個人的な予想を反して結構な興業となったこの映画ですが、先日DVDで鑑賞して意外と面白い構造をしていたのでまとめてレビューします。

    戦闘シーンにCGなどやロケで相当豪勢に大枚がつぎ込まれたことは容易に見て取れ、それなりに感心しましたが、注目したのは主に戦時中の回想部分ではなく、時勢で言うと現在の部分のシーンでした。結論から言いますと、この映画はある意味で「男たちのらしさへの回帰とバックラッシュ」なのではないかと考えさせられたわけです。「男たち」の部分をそのまま「ナショナリズム」と代えて見る事もできると思いますが、これはもうアーロン・ジェロー氏の後追いなのでやめておきます。

    戦時中の大和とその乗組員をめぐる回想のお話しがナラティブの軸でありまたドラマツルギーの主要な部分であることははっきり見て取れますが、全体としてのナラティブの構造はその回想はある一人の男(仲代達矢)の実体験の記憶を通して回帰されたものでして、その回帰を促すのは父の過去に触れて向き合うために来た女性(鈴木京香)なわけですね。そして物語りの最終的な帰結はその男が救済をされるという形で終わるわけです。戦争へ行った世代がその子供の世代の、ここが注目すべきところですが、女性によって救済がなされるわけですよ。

    e0039500_20163675.jpgそして更に面白いところは、戦争へ行った男と戦争へ行った父を持つ娘、それに大いに触発されるのが戦争へ行った世代の孫の世代にあたる15歳の少年なわけです。一つの小さな船に乗って大和に会いに行く、この三者の構成が、3世代によって構成されているわけですね。例えば、最後に少年が船の舵を握りますよね。それはあたかも大海原に浮かぶ島、日本の舵をにぎったように見えたのは私だけでしょうかね。戦争に行った世代は次の世代の女性に救済され、それをまた次の世代の少年に受け継がれていく。ジェンダーで追えば、男→女→男なわけです。戦争に行った世代の男のイデオロギー(主に男らしさ)を2世代後の男へと継承される。そしてその媒介となるのが間の世代の女性。この辺が、この映画をジェンダーという視点で追ったときに非常に興味深いなぁと思わされた所以でした。

    言ってしまえば、この映画のお話は戦時中の回想シーン無しでも成り立つ、そういう構造になっているわけでして、海の上のこの三世代にわたる三者の物語なわけですよね。しかし、映画的なスペクタクルを回想シーンが請け負う、意外に秀逸な構造となっているわけでした。もちろん3世代を出すことによって、各世代の観客層の感情移入ポイントを作るという上でも非常に優等生的なやり方ではありますが、更にジェンダーで見たときに更に興味深いやり方をしているなぁ、なるほど、それなりの興業を上げるわけだとある種納得をした鑑賞となりました。

    さて、この映画を「戦争映画」として括って見るとまた全く違ったレビューとなってしまうわけですが、それは長くなるので割愛ということにしまして、最後にレーティングのことについてすこし。

    見たところ、この『男たちの大和』に映倫はレーティングを行っていないようですが、そうなんでしょうか?もしレーティングをかけていないのであれば、すこし考えさせられてしまいますね~。というか、日本のレーティングらしいといいますか。まず、映像的なバイオレンス度で言えば相当高い部類に入ると思いますし、その描写は見ていて『プライベートライアン』を想起させられたわけなんですけど、見てみると日本で『プライベート』はレーティングないようですね。あー、なるほど、と思うと同時に、『バトル・ロワイアル』がR15にレーティングされた記憶も蘇ってきまして、その映画の暴力的描写と『男たち』のそれとそんなに違うものかと言うことも考えさせられました。これ以上は日本の映倫とレーティング議論になってしまうので、気が付いた点としてここまで。
    Depper


    参照:
    「Fantasies of War and Nation in Recent Japanese Cinema」by Aaron Gerow
    『男たちの大和』公式HP
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    by corin_depper | 2006-09-07 20:33 | レビューと考察
    『太陽(The Sun/Solntse)』レビュー
    e0039500_1484066.jpg未だ日本公開のうわさすら聞かないロシアのソクーロフ監督の映画『太陽(The Sun)』が地元の映画館に2日間だけの日程で上映されるということで昨日ハロウィーンで盛りあがる人々を背に見てきました。正直、まだ頭の中で纏まった構造が見えていないので、レビューを書くのをためらいましたが、何より日本が描かれ日本に行かない映画なのであればそれでも書く意味があるのではないかという思いに駆られ、結局書くことにします。(ネタバレ御免で書きます。)

    以前見る前にも記事を書いていますので、そちらもチェックしてから読んでもらえるとよりわかりやすいかと思います。
    映画『太陽(The Sun)』について少し考える 2005年 09月 05日
    映画『太陽』に関する「NYタイムズ紙」の見解(訳) 2005年 10月 08日
    e0039500_222429.jpg
    既にあちこちでネット上、雑誌、新聞で目にするレビューなどでほぼ統一的な見解というか、概要はわかるようになっていますが、あえてまとめると、非常に特異な映画であるということだけは確かです。監督自身が言うように、物語映画でもなく、ドキュメンタリーでもなく、昭和天皇のある日々を彼の存在というものが極めて奇異に感じられるその瞬間瞬間をスナップショットのように収めてある、それがこの映画を見に行くと「そこにある・描かれているもの」でした。つまり、英語で書かれるレビューなどは「まさにアートハウス」などと言う表現がされていますが、こういう映画の見るべきはやはりその形式、手法、構造ではないかなと思います。

    この映画で、歴史を語るのも、政治的イデオロギーを語ることも非常に難しいと思います。更に、そこに描かれているイッセイ尾形演じる昭和天皇の姿・行動・それを囲む環境がどれだけリアリティを有しているか、反映しているか、これを論じることも非常に無意味な内容になっています。ただ、見に行く側はこれらに関して非常に意識しながらスクリーンを眺めるでしょうから、もしかすると、肩透かしをくったような感覚に襲われる人は多いのではないでしょうか。これらの先入観的なフィルターをまず取ってスクリーンに客観的な眼を向けるとこの映画自体の存在価値・位置が見えてくるような気がします。

    それでは、少し、細かい点について。

    非常にTheatrical、舞台的な点について。
    暗い照明やローキー照明、抑えられた色彩、まるで能を見ているような慎重でゆったりとした動き・演技、そして多用される長回しシーンの連続、これら一見して伝わってくる視覚情報がこの映画を非常に舞台のそれと近いことを教えてくれます。逆にそれによって、そこに映し出される画が非常にリアリティという感覚を麻痺させて、シュールリアルなものにさえ見せてくれています。そこで焦点を当てられているのは、非常にイビツな時代・状況に非常にイビツな存在としてそこに居る自分に対して自問自答もしくは苦悩しているかのように見える昭和天皇の姿です。

    「覗き」の視点について。
    一番最もな表現としては、我々は観察する役目を負わされるというのが妥当でしょうか。クローズアップした表情の一部始終から、引いた画でたたずむ天皇の姿を延々と観察するのです。こうした感覚は従者などが実際に行う常に「監視するために覗く」という行為を見せることによって自然と我々の視線もそちらへ誘われるようになっています。非常に実際の姿や生活をほとんどみることができない我々の感覚は既に皇室の中を覗く心境です。表現に語弊があるかもしれませんが、ある種National Geographic番組を見ている心境にすらなりました。と、同時に常にだれかの視線に晒されなければいけないモルモット的存在と受け取ることもでき、天皇が平家蟹を解説する様はまるで箱の中の箱という図式を浮き彫りにしました。

    特異な映像について。
    ↑で述べた映像的特徴以外に、目を見張ったシーンがありました。空襲のシーンで、ナマズが火の海と化した大地の上を飛びながらこれまた魚の形をした爆弾を投下し、硝煙で完全に光が遮断された煙と炎の(CGI)映像は、まるで映像的リアリティは欠如させながらもグロテスクで、『ハウル-』のそれを彷彿とさせるかのような映像でした。そういった演出もまた演劇のそれに近いです。後は、執拗に天皇の姿をこれでもかと枠にはめて撮るので、これはもう象徴性を超えていかに抑圧された状況・心理にあるのかを伝えるメッセージ映像の連続でした。ドアの枠から窓枠、枠・枠・枠です。そしてスクリーンの中心からはよくはずされて墨に小さく追いやられるその映像も非常に顕著な映像でした。

    ナラティブの欠如と音について。
    ほとんどロジカルに因果関係を提示されて行われる物語の進行というものはありません。確かに歴史的な出来事がありますが、時間の経過や軸、そして空間は非常に曖昧です。これもまた演劇の幕間、幕間、また幕間みたいな感覚にさせられます。そして物語の連続性の欠如をまるで埋めるかのようにある「音」が執拗に録音されています。それは時計の針が時間を刻む音。もう一つはラジオのチューナーが電波を拾う音です。抑揚のないシーンの連続の中で、同じリズム、同じ周波数の音を延々と聞かされる、まるで60年代の実験映画を見ているんではないだろうかという錯覚にすら陥りました。このストレスはかなりなものでしょうし、うつらうつら来ている人たちは1人や2人ではありませんでした(苦笑)

    反戦?反米?
    扱う時代設定柄、戦争という二文字は背景として非常に強いのですが、戦争というもの自体もこの映画ではより天皇の特異性を浮き彫りにするための装置でしかないように思えました。つまり、反戦的だとかいう姿勢はあまり見て取れないというか、そこに映し出されないのです。むしろ、目に付いたのは、占領軍であるアメリカ兵たちが非常に卑しく描写される(マッカーサーは別)ということと、この映画で唯一政治的歴史的な瞬間をかもし出す、天皇が広島・長崎の原爆投下を非難した時に、アレルギー的に苦虫を噛み潰したようなマッカーサーがパールハーバーはどうなるんだと切り返すシーンなどをみても、(やはり自分の日本人としてのアイデンティティがそう見せるのかもしれませんが・・・)ソクーロフ監督は反米的な意思を織り込みたかったのだろうかと考えさせられました。

    まとめとして。
    最初に言ったように、まだまだぼやけているところが多くて、これ以上はまとまりそうにありません。全体像を捕まえるにはこれまた先日の『Takeshis'』じゃないですが、もう何度か見る必要がありそうです。最後に私的感想として、人が人であるという宣言をしなければならないというその様態はやはりナンセンスに感じます。そして、勝手な目測で最後には実際の人間宣言の録音されたものが流されるかと思っていましたが、まったく流れず、エンドロール。右下に小さく繰り返し現れる一羽のハトの画は、やはり監督は多からずとも反戦的観念を織り込みたかったのかなと思わされました。私の前の列に日本人の女の子3名が座っていましたが、途中からスヤスヤでした・・・(苦笑)気持ちはすごくわかりますが、もったいないなぁとも思いました。。。
    Depper

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    by Corin_Depper | 2005-11-02 03:15 | レビューと考察
    『ブラザーフッド』の優等生的構造について少し考える
    e0039500_0591084.jpgDVDにて韓国製作映画『ブラザーフッド』を鑑賞しました。優等生の映画だなと思わされました、と同時になるほどなぁと思わされたところを少し解体してみようかと。

    前提として、この映画は戦争映画とまず最初に銘打っていいでしょう。常にナラティブの軸が戦争ですし、その軸から主人公2人も離れることができていません。そして、この映画は戦争映画の中でも陸での戦争映画ですね。航空機は下から眺めるだけですし、パイロットなどの顔は一切出てきません。もちろん海でもないことは明白。更に空・海がロマンとスペクタクルであるなら、地上戦映画ジャンルと言えば「リアリズムとヒューマンドラマ」、こうした起源は『西部戦線異状なし(1930)』などで確立されたもので、その古典的オーソドックスなポイントをおさえているという意味も込めて優等生です。

    少し他のレビューも眺めて見ましたが、『プライベートライアン』と結び付けられているものが非常に多かったです。大規模な地上戦映画と衝撃的な銃撃戦などの描写もそうでしょうが、これはビジュアル的な影響もあるだろうなあと思います。eiga.comの映画評では骨格が『プライベートライン』と言っていますが、地上戦映画ジャンルの骨格と受け取って、その骨格を↑出述べた「リアリズムとヒューマンドラマ」とするならば、その骨格は『西部戦線異状なし』から来ているものと思われます。とりあえず、『ブラザーフッド』のビジュアル操作を比べてみましょう。

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    一目瞭然ですが、どう見ても構図が同じですね。『ブラザーフッド』製作側がこれを意図してマーケティングをしたのなら優等生です。逆に無意識的に我々が比べてしまうのも無理ありません。

    では、少し(かなり簡単に)中身の構造について。『西部戦線』は若者の主人公の無垢な視点で描かれますし、それが現実味を持たせます。そういう意味では『プラトーン』に近い。『プライベートライアン』は若者兵士をまとめるいわば会社で言えば中間管理職的立場の視点で、どちらかというと国、つまり「公」を背負っている立場の視点ですので、逆に統率する若者の私的感情が浮き彫りになります。『ブラザーフッド』ではこの両者が同時に主人公として存在します。

    視点をジェンダー的に変えると、戦争映画というよりも、目的を持った男の集団(ヤクザやマフィアなんかもそうですね)には自然と父親像、母親像を作るのが映画ジャンルでいう常套手段です。『プライベートライアン』の主人公は隊を束ねる言わば父親的存在です。そして、『西部戦線』の主人公は養われる羽の生え揃わない(兵士として)子供です。(蛇足ですが、『シンレッドライン』ではジョージクルーにーがまさにこの関係をわざわざ口に出して兵士に説きますね。『プラトーン』では主人公がまさに上官二人の間の子供だと吐露しますね。)そして、『ブラザーフッド』にはこの両者が同時に二人の主人公として存在します。

    これらのあわせ技一本とした構図は、優等生のある種の冒険というか挑戦として注目に値しますし、どちらの立場にも感情を移入させることができるので、より広い客層を取り込める。更に面白いのは、父親的存在がすごく私的感情で動くのに対し(共産主義も民主主義も関係ない)、子供の立場であるものがすごく社会常識・規範(常にモラルで物を見る)で動く。更に更に言えば、兄貴の方はすごく精神的にホモであるのに対し(少なくともそう思わせる描写をしている)、弟はいわゆるホモに対する恐怖観念(Homophobia)を見せる。なぜ婚約者より自分をとるのかが理解できないのだ。深い(義)兄弟愛というのはある種精神的ホモであると言ってしまえばそれまでだが。
    e0039500_318884.jpg


    そして最後に付け加えるとすれば、ブロックバスター映画には欠かせない構図「家族」と「少年から大人へ」という通過儀礼的なもの。少年(弟)は父親のような兄を盲目的に愛されるところから、反抗し、決別し、そして最後に許すという一連の儀式を済ませて大人になって(自分が今度は父親となる準備を整えて)家族、母の元へ帰っていくのだ。父親的な兄が対戦する北へ寝返ったときその図式は「ダースベーダーとルークスカイウォーカー」であり、最後はその死を踏み台にして最終的な成長を遂げて、それがそのまま映画の終幕となる。ある種のオエディプス(父殺し)儀礼ですね。彼らの体格的な違いを見てもこの構図を強く印象付ける。この構図まで取り込んでしまっているところに、非常に忠実に優等生として製作された映画であることを改めて思わされた。

    『ブラザーフッド』は戦争映画として「優等生」なのだ。こういう教科書に沿った優等生な映画を日本映画界は果たして製作できるのだろうか。この優等生さというか、大衆受けする要素をうまく取り入れたところが、国境を越えてイギリスでDVDリリースということになっているのだろう。
    Depper

    公式:
    『ブラザーフッド』公式HP

    参照:
    『ブラザーフッド (2004)』(Allcinema Online)
    『プライベート・ライアン (1998)』(Allcinema Online)
    『西部戦線異状なし (1930)』(Allcinema Online)
    『ブラザーフッド』映画評(eiga.com)
    ブラザーフッド DVDプレミアム・エディション(アマゾン)
    『西部戦線異状なし』スティール写真集
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    by Corin_Depper | 2005-09-09 03:21 | レビューと考察