• 映画を少しばかり外から眺めてみるそのカタチ
    S M T W T F S
    1 2
    3 4 5 6 7 8 9
    10 11 12 13 14 15 16
    17 18 19 20 21 22 23
    24 25 26 27 28 29 30
    31
    カテゴリ
    LINKS
    IMDB
    Internet Movie Database
    JMDB
    Allcinema Online
    日本映画データベース
    UNIJAPAN
    日本映画情報データベース
    HOGA Central
    邦画最新情報(英語)
    The National Museum of Modern Art, Tokyo
    東京国立近代美術館
    フィルムセンター
    Japan Film Comission Promotion Council
    全国フィルムコミッション連絡協議会
    Federation of Japanese Film Industry, Inc.
    映画産業団体連合会
    Motion Picture Producers Association of Japan, Inc
    日本映画製作者連盟
    Japan Video Software Association
    日本映像ソフト協会
    British Film Institute
    英国映画協会(BFI)
    JASIAS
    日本映像学会
    JSCS
    日本映画学会
    Senses of Cinema
    オンライン映画批評ジャーナル
    Scope
    オンライン映画学ジャーナル
    CineMagaziNet!
    オンライン映画学術批評誌
    Japan Focus
    オンライン日本研究ジャーナル
    Kinema Club
    キネマ倶楽部
    Eiga.Com
    エイガ.ドッド.コム(情報)
    Cinema Topic Online
    シネマトピックオンライン(情報)
    Midnight Eye
    ミッドナイトアイ(アジア映画情報)
    Masters of Cinema
    マスターズオブシネマ(映画情報)
    EIRIN
    映倫管理委員会(公式)
    MPAA
    Motion Picture Association of America (米国映画協会)
    bbfc
    British Board of Film Classification
    (英国映画分類委員会)
    CERO
    コンピューターエンターテイメントレーティング機構
    Box Office Mojo
    興行成績データベース(英)
    ---------------------------------
    読んで「なるほど」と思ったら↓のリンクをクリックして応援お願いします。
    ブログランキングネット

    人気ブログランキング

    映画ブログ村

    人気UPランキング映画・芸能

    ブローグ(ランキング)
    ----------------------------------

    映画学メモ
    *映画学的相互支援サイト
    ためになる映画学入門、
    現在第17回目シネレッスン
    映画とジャンル
    をメモ中!

    ---------------------------------
    <他BLoG LiNK>

    le monde lunatique
    おとぼけ映画批評
    KagoCinema Life
    Slow Train
    Twitch
    知られざるアニメーション
    映画史探訪
    boid
    Hollywood Party
    映画生活(情報)
    赤パン帳 (ΘェΘ)
    ---------------------------------


    最新のトラックバック
    テラびしょびしょw
    from お・な・に・ぃ
    『SAYURI』'05・米
    from 虎党 団塊ジュニア の 日常..
    『SAYURI』'05・米
    from 虎党 団塊ジュニア の 日常..
    名和秋 更衣室を盗撮
    from プロボーラー 名和秋 更衣室..
    負けても勝ち組w
    from ドンパッチ
    ≪40歳の童貞男≫
    from ミーガと映画と… -Have..
    フォロー中のブログ
    以前の記事
    タグ
    検索
    その他のジャンル
    ファン
    記事ランキング
    ブログジャンル
    画像一覧
    『ゲド戦記』考察
    e0039500_2151415.jpgようやく何かと騒がれているジブリ最新作『ゲド戦記』劇場鑑賞してまいりましたので、ここで少し考察をしてみたいと思います。結果として、不評をかってしまっているメカニズムが曲がりなりにも検証されていればいいかなと。きっと長い記事になってしまうと思いますが、気長に読んでもらえると幸いです。

    まずは印象・感想から。
    久しぶりに劇場にメモ帳・ペンを持って映画鑑賞をしましたが、「何してるの、この人?」という痛い視線にもめげずにポイント、ポイントは押さえて参りました。観終わってまず、抱いた感想は、「宮崎駿氏が立腹するのに合点」ということですかね。決してマイナスな思考で観たわけではないんですが、少し寂しい出来ではありましたかね。それもこれもやはりジブリ作品という強烈なブランドイメージとの差異がそうさせるのでしょうね。

    そして、次にこの作品『ゲド戦記』に対する問題提起をしたいと思います。最終的にここに帰ってくると思うのですよ、どういう分析をしようとね。そしてこの問題提起は今後のジブリブランドと今回初監督をした吾朗氏への問いかけにもなると思います。

    それは、
    「この作品がジブリ作品として枝分かれの一作となるのか、もしくはただの脱線なのか」ということです。この位置づけの仕方によって、最終的な評価が大きく変わってきてしまうように思いますね。ただ、今回この考察記事でその答えを前提にすることはしません、むしろ問題提起のままという姿勢で行きたいと思います、なるべく中立的な立場でしたほうがこの記事を読んでくれるみなさんに核心に触れてもらいやすいかな、とも思いますのでね。

    さて、最初にまず前回鑑賞前に疑問点を「寸感」として書いた記事に対するすり合わせからしてみようと思います。興味のある方はそちらから読んでみてくださいまし。(前回記事:『ゲド戦記』寸感

    疑問点①
    「ジブリアニメ作品=宮崎駿作品という強烈なイメージとの誤差」

    これは最初に述べたように、作品全体のイメージとしてこれまでのジブリ作品の持つ世界観や表現手法、それを体現する重要な要素等を見てみると、「誤差は小さくない」と言わざるを得ないでしょうね。問題提起の部分にも関わってきますが、世界観、表現、ジブリ作品要素もしくはブランド要素いずれをとっても、逸脱しております。では、どこが、どう、という詳細部分は以下で述べたいと思います。

    疑問点②
    「主人公と配役」

    ここにも重要な逸脱がありました。これは作品の物語の部分と大きく関わってくるので、詳細分析は以下で行いますが、配役の構造は180度異なると言えますね。

    疑問点③
    「シュールかつ内省的な精神世界感とナラティブ構造」

    この疑問点に細かく応えることが、きっと考察のメインになるのですが、決してシュールでもありませんでしたし、内政的な精神世界表現が強調されているというわけでもありませんでした。ただ、ナラティブの構造、ここを紐解いていくと、疑問点①へ帰るということになりますかね。この疑問点に関しては個人的予想とは少し誤差が大きかったように思います。

    前置きが長くなってしまいましたが、映画の中身、概して物語・ナラティブ構造を中心に細かく考察してみたいと思います。


    Intermission
    e0039500_17392530.jpg


    まず、これは映画の外、特に製作部分に関わってくる話ですが、アニメーション自体について少し。アニメーションの質というべきか、手法というべきか、表現方法というべきか、わかりませんが、とかく統一性がありませんでした。ある画はとても細かく、そしてある画は「ナウシカ」時代を思わすような平面的なで簡素な画。おなじ人物や背景をとってもシーンによって違うのですね。たとえば、水関連の画。オープニングは非常に原始的で平面的な簡素なセルアニメーションの画。そして同じ海のシーンでも今度は明らかにCGを駆使した透明感あるきめ細かな3Dの画。もう一つ顕著なのは、背景もそうですね。基本的に、背景に関しては細かく描写された画が多かったように思います。しかし、これにもばらつきが観られましたね。キャラクターはともかく、背景などは視覚的な世界観を作るうえで重要となってきますから、ここの表現が統一されていないと、観る側はなかなか世界観を捉えるのに苦労しますし、無意識であっても情報は受けるわけですから、なかなか集中して自己を作品世界へ移入させてもらえないのではないでしょうか。そうすると、なかなか主観的に鑑賞させてもらえない、そしてより客観的に距離を置いて見ざるを得ない。客観的に観ると言うことは、えてして批評的な立場で見る傾向に至ってしまうのではないでしょうかね。これまでジブリ作品にどっぷりと浸かって見てきた観客にとっては突き放されるイメージや感覚があったのではないでしょうか。更にはすでに不評が飛びかってしまっている現段階でそれを予備知識に見る人たちはなお更ではないでしょうか。この画とその表現に統一性があったならば印象や作品イメージは大きく変わってくるのかもしれないな、と観出して数十分で思う、という体験でしたね。

    次に作品の時間的流れと空間について。Time and Spaceと呼ばれるやつですね。これも作品の物語世界観を捉えるためには重要になってくると思いますが、この時間と空間を把握するのが非常に難しい。時間の流れ自体は前後していないことはわかりますが、イベントからイベントまでどれくらいの時間が経っているのか、どう飛んでいるのか、など。空間も、点でしかなく、どれくらいの距離があるのか、同じ空間でも方角の感覚を非常に掴みにくい。これはエスタブリッシングショット、つまり空間を把握させてくれるショットに方向・方角性の統一がかけているために起こるのですがね。つまり、時間や空間を把握するための、記号もしくは情報が著しく欠如しているわけです。そこをある意味シュールと呼んでしまうとそれまでですがね、こうした時間や空間の連続性の欠如はやはり観るものの視点と感覚を遠ざけてしまうように思います。

    お次は、少し物語り・ナラティブ構造についてですが、まずは主人公にまつわる考察から。この作品の主人公は誰でしょう?誰がいるから物語が動くのでしょう?これに瞬間的に答えられる人がいるでしょうか?では、質問を変えて、これまでのジブリ作品で主人公を瞬間的に答えられない作品がありますか?この作品ではどう観てもこの人物が主人公という配役がなされていない。つまり、誰の物語であるのかが非常に分かりにくいわけです。強いて言うならば、3人居るといっても過言ではないでしょうね。もしくは3つの物語が重層的に絡んでいるとも言えるかもしれません。物語をぐいぐいと進めて行く、推進力になっている人物が居ないのですね。ジブリ作品の多くは『ラピュタ』然り、『もののけ』然り、『千と千尋』もまた然り、女の子が主人公でそれをペアになる男の子が存在するわけです。もしくはその逆というのもありますかね、『紅の豚』などはそれです。「ペア」、これが基本です。そのどちらかが物語りをぐいぐい進めて、ペアのもう一人はそれを助ける。時には進める手助けをする、時にはその一人が居ないと進まない。ペアのつながりが非常に強いからです。二人の主人公と言ってもいいのですが、少なくとも物語の視点はどちらかに依存するはずです。ところが、この『ゲド』では、この辺が判然としない。最初は男の子が物語を進めのかと思いきや、突然物語の推進力はこれまでのジブリ作品であったらサポート役のはずのおじさまに取って代わる。そして最後の最後にすべての物語の推進力は実は女の子であったりするわけです。これは、終わってみてあーなるほど、とはなりますが、観ている最中での感覚は、え?、の連続なはずです。ここにも過去のジブリ作品(主に駿氏の作品ですがね)とは一線を画すわけです。決して多重視点と主人公が悪いわけではありません、がしかし、これまでのジブリ作品というイメージと経験が邪魔になるのですね。3者の物語があるために、各々の物語のための因果関係が存在しますし、物語視点の切り替えがうまく行えない場合は、この因果関係の把握が難しくなります。今、誰の物語を語られているのか、どこで自分を作品内に投影させて感情を移入していけばいいのか、人物の物語に対する役割が変わるので難しいかもしれませんね。時には、主人公のように物語を進め、そして時にはサポート役になり、そして時には誰かの物語には誰かの存在は非常に希薄になってしまう、さぁ、これが作り手の意図によるものなのか、はたまた・・・。

    では、少し視点を変えて、上記の項も踏まえましてどういうところが、これまでのジブリ作品を受け継いでいるのでしょうか、そこに触れてみたいと思います。主人公の問題を抜くと、配役はかなり似ていますね。仮に、男の子と最終的にわかりますが女の子が主人公であったとしましょう。そのときにおじさまは主人公を賢く時には厳しく優しく導いてくれる仮初の父親的な像としてガイド役です。そしておばさまは主人公を時には温かく、時には力強く包んでくれる仮初の母親的な像としてバックアップ+癒しの役目です。後者はそう機能していますが、前者は主人公足りえてしまうために、必ずしもガイドに徹した役ではありませんね。言ってしまえば、売れる映画として不可欠な(擬似)家族もしくは(家族構成の一員が欠如した、たとえば母の居ない等の)家族とその冒険という柱は構築されるのです。

    さて、では、これを踏まえまして、少しジェンダーロール、つまり男性・女性の役割を考えて見ます。大抵のジブリ作品は(主人公である)女性が力強く、もう一人の主人公とも言える男性の後押しを受けて物語をぐいぐい引っ張って、最終的には断固たる決意の元に物語のカタルシスとも言える決断と行動をし、最終解決へ至る。これが、『ゲド』では必ずしもそうではない、むしろ逆転している、言い換えれば、古典的な男女の役割となっています。つまり、男は力強く、女はか弱く。これは物理的なものではく、精神的なところまで。特におじさま、おばさまの関係はそうですね。おばさまはすごく従属的。男の子と女の子もある意味そうです。男の子は男性の象徴的な剣を持ち、これに依存します。そして女の子はその男の子の救済となるわけです。大抵のジブリ作品は逆です。女の子がすごく動的・主体的・行動力(攻撃性)が高い。そして男の子は最後の後押し、救済となるべくその媒体・サポート役に回り物語が収束するわけだったりしますが、この辺は『紅の豚』に似ているかもしれませんね。はてさて、『紅』はジブリ作品でも売れた方でしたでしょう~か。

    e0039500_21482331.jpg


    それでは、また少し視点を変えまして、ジブリ作品が持つファンタジー性について。『ゲド』では、魔法という概念が出てきます。そして神話的な生き物『竜』なる生物も登場します。この両者を鑑賞前に聞いたとき、非常に(ジブリ作品として安心できそうな)ファンタジー世界を思い浮かべませんか?そして、それに準じたファンタジーの世界は構築されていたでしょうか。言い方を変えると、『ゲド』の中で不思議な現象ありましたか?非現実ということではなく、(畏怖にも似た)未知なる不思議な世界という意味で。この辺は作品が持つ物語のテーマ的な部分と非常に連鎖しているのですがね。不思議な物・出来事の肝がなかったように思われます。主人公がはっきりしない分、このファンタジーな世界もぼやけてしまったように思います。魔法の世界も、竜の世界も、生と死という混沌とした精神世界も、どれも物語の主役になりきれていないのではないでしょうか。これまで得てして魔法や不思議な現象は物語のカタルシスとして発生していますが、『ゲド』ではどこにカタルシスを求めてよいかがぼやけてしまっていますよね。それもこれも主人公の不透明さと物語の分裂によって起こるわけですが。魔法は、竜は、物語の最終解決となったのでしょうか?男の子の最終解決は?女の子は?おじさまは?世界は?

    それでは、もう少しテーマ性に的を絞ってみましょうか。ここは多少俗に言うネタばれになるかもしれませんが、あしからず。オープニングから暗いメッセージにも似た暴力的な描写から始まります。結果は判然としませんが、「暗い行為」から始まるジブリ作品がこれまでありましたかね。これまで凶暴性が全くなかったわけではないですが、『もののけ』のようにね、しかし暴力には理由がありました、そしてそれを観客は受容できるような形になっていました。それまでほとんど当て擦りもなく、ヒントも与えられず、突如として「個人が抱える死との対面」というテーマが浮上します、それも非常に直接的に、言葉によって。つまりセリフによって説明されて始めて、ああそうなのか、と合点が行くような形。あたかも我々に説明しているかのように。時間や空間が断絶してしまっているように、テーマも階段を上がるごとく構築されて浮き上がるといった形ではなく、断片的にかつ説明的に扉を開けて見せられるといった形で突きつけられます。テーマ性やメッセージ性を観客に唐突に投げるという行為はほとんどされて来ませんでしたよね。言い換えれば、そのテーマやメッセージに正面きって受け取らなくても作品の物語を楽しめるそういう因果関係や発展があったのですが、『ゲド』では、ある一つのテーマを完全に受容し消化をしようとしないと物語が帰結しない。これまではそのテーマやメッセージにある程度の解決が用意はされていましたが、それはそのまま主人公の問題と最終解決というところに結びつく必要がなかったのが、今回は主人公たちの物語の帰結や解決というよりも、メッセージやテーマに非常に直接的で分かりやすい白黒のついた解決を与えて物語の終わりという形をとっています。この辺にも、意識してもしなくても、違和感となって残るように思います。物語が波錠している、と言っているわけではないですよ、これまでのジブリ作品と比べたときに浮き上がる違いです。

    そして、それを踏まえてもう一つ。「死」に対する恐怖やそこからくる葛藤や苦悩、こういうものってどこまで若者に伝わるでしょうか。そういう恐怖や葛藤、苦悩といったものは、自分の肉体が老いていく歳になって初めて体感できるものではないかと思います。物語の最終解決として提示されるのが死に対するものであって、これを消化できなければ、またできない観客は完全に置いていかれてしまう様に思います。それ以前に提示されている「世の中?万物?の秩序の乱れ」ともつながりが薄いために、死もしくは死という観念に対する答えの提示が軽くなってしまい充分な落としどころになりきれていない感も否めません。よーく考えてみると、これまでのジブリ作品では子供でもわかる物語構造と大人がわかってくれればいい付加的なメッセージ性との二重構造が売りであったように思います。これが、『ゲド』では後者のみに特化されてしまった感が否めませんね。果たしてどこまで子供が追って楽しめる物語となっていますかどうか、これは子供に実際に聞いてみないとわからないのかもしれませんが。

    さて、そろそろまとめにかかろうかと思います。ここまで書いてみて、あらためて諸説紛々の根幹となっているのは、主人公の不透明さに尽きるのではないかということですかね。ここが定まらないので、物語の軸もずれる、焦点もぶれる、テーマもつながりきらない、こうしたこれまでのジブリ作品ではなかった内容となっていることに気がつかされました。これを踏まえた上で、あらためて『ゲド戦記』をジブリ作品の一つとして考えたとき、多くの要素や表現が異なることに気がつかざるを得ません。これまである程度一貫されてきたものが、突如そのラインからそれてしまった、逸脱していると言っても過言ではないでしょうね。これを故意に行ったのか、はたまた作り手の違いによる産物か、ここを見極めてみたいように思います。少なくとも、駿監督の専売特許的なものがこの作品からは消えています。意図的であるならば、登場人物のキャラクターやその描写はその限りではないのがまた不思議。あきらかにジブリ作品が描くキャラクター像がそのままそこにあるわけです。アニメーションに関しては映画の外、つまり請け負ったアニメーションスタジオ等の兼ね合いもあるのでしょうが、その辺はまた。

    e0039500_21485239.jpg最後に最初の出発点に戻ってこの考察のまとめとしようと思います。
    「この作品がジブリ作品として枝分かれの一作となるのか、もしくはただの脱線なのか」
    これですが、もう言わんとすることはお判りかもしれませんね。この作品を劇場で見ていて、これまで延々と↑に書いたようなことに思いを巡らせていたのですが、明らかにこれまでのジブリ作品から逸脱した内容と表現になっているこの作品、これまでのジブリ作品とは違ったもう一つの対極的な路線を打ち出したものなのか、それともただ脱線したものに過ぎないのか。前者であれば、非常に興味深く見守りたいわけですが、後者であれば初監督吾朗氏の行く末が案じられます。良くも悪くも、この作品はジブリというラベルが貼られてしまっているわけで、爆弾を抱えて走っている興業となっていますが、この疑問の答えとなるものが次の作品以降見えてくるものと思われます。そうした意味では、楽しみではありますけどね。


    Depper

    参照:
    http://kozoism.exblog.jp/3919793/
    [PR]
    # by corin_depper | 2006-08-20 21:51 | レビューと考察
    ジブリ美術館産ゾエトロープペーパークラフト
    先日Corinが行ってきたジブリ美術館のお土産にタイトルにあるような便箋型のゾエトロープペーパークラフトが送られてきたので、早速我がハウスメートが制作着工。1~2時間もあれば作り終わるのでは、なんて思っていたらなんと6時間前後もかかりました(苦笑) これが案外細かく設計されていて切り貼りだけでものすごい労働でして、隣で見ている(手伝わない・・・笑)私も疲れてしまいました。 なかなか小学生などのちびっ子が興味本位で作り始めて無事に制作終了できるものかと、やや懐疑的でありますが、それでも(自分で作ったわけではないですが)簡単なゾエトロープ制作と原理を知る体験としては面白いものを販売しているなぁ、と思います。アニメの原点であるパラパラ漫画とはある種鑑賞方法としても一線を画す技法での装置、これを直に触れてみる、大事なことではないでしょうかね。こうしたある種教育的な体験を提供するジブリの姿勢はなかなかですね。ただ、唯一残念であったのが、出来上がった状態でのゾエトロープとしての機能があまり精巧ではなかったという点でしょうかね。ミニチュアなのでいたしかたない部分もありますが、やはり一定のスピードで回転できるような仕組みになっていないと、ゾエトロープを視覚的に体験するには至りません。そこまでこの紙に要求するのはもちろん酷なのでしょうが、作り終えてみてやはり残念な気持ちになったのもまた真であります。さて、出来上がりを写真に撮ったものが↓です。汗と苦労の結晶をごらんあれ。ハウスメート氏、ご苦労様でした。
    e0039500_10594160.jpg

    Depper

    参照:
    http://kozoism.exblog.jp/3940195/
    [PR]
    # by corin_depper | 2006-08-17 11:00 | 雑記
    大人のジブリ
    e0039500_2344171.jpgジブリ特集みたいなブログになりつつありますが、シネマトゥデイでの記事が眼に留まり、考えさせられる部分があったので寸感です。

    最新作の『ゲド戦記』が戦々恐々とした興業となっている模様ですが、それでもジブリ自体は着々とジブリブランドの構築をしているのだなぁ、とある意味感心させられました。何がと言いますと、ジブリ美術館が夜間の一般開放を試みたということです。ターゲットをアダルト、つまり二十歳以上の大人に絞って、しっとりと美術館を堪能するという企画だったようです。この大人に照準をしぼる、という辺りにまたある意味納得したわけです。

    何が納得かといいますと、思い返せば『風の谷のナウシカ』以来ジブリ作品の歴史はもはや20年を数えます。つまり、『ナウシカ』もしくは初期の『となりのトトロ』くらいの年代の作品を少年・思春期に鑑賞をした年代の人たちは、もうとっくに成人をしているわけで、つまり親となっている世代でもあり、その子供たちがまたジブリ作品の人気を支えているというわけです。

    こうした20年という単位でジブリ作品とその根強い人気を鑑みた場合に、『もののけ姫』辺りからの興業的大ブレークはある意味納得できるものなのではないかなと考えるわけです。元々ジブリ作品を見て育った世代のその子供たちが親に連れられて映画館に行くようになってきた、その現象とジブリ鑑賞人口の増加が『もののけ姫』以降の大ヒットの大きな要因ではないか、と思うわけです。

    そして改めて、そのジブリに愛着を感じて親となっている世代に向けて、美術館もそれなりのサービスを始める。この辺の嗅覚にも感心しますが、ブランドイメージを保つ意味でも非常に大事なことだと思いますし、そういうバイタリティを持っているジブリブランドは今後もそうそう没落はしないだろうな、と思わされますよね。まぁ、作品的にも転換期に来ていることは否定できないでしょうけどね。

    これで、日本国外の観客に対して同じようなブランドイメージ構築の戦略を始めたら、これはディズニーを凌ぐモンスタースタジオになる、そんなことも全く夢ではない気がします。とはいえ、ジブリ美術館にインターナショナル客向けの言語解説がないようなので、まだまだアンテナは国内のみに低く向いているのかもしれませんけどね。とはいえ、ここイギリスでもジブリ作品のDVDが出揃い、今週はケーブルチャンネルのFilm 4でジブリ週間と称し主要作品を連夜放映しているようです。国内からはすこし遅れても、2世代にわたるジブリ作品観客層が国外で出来上がるのも時間の問題かもしれませんね。

    と、どこまでも話が飛び火してしまいそうなので、今回はこれにて。
    Depper


    参照:
    超レア!一夜限りのアダルトな「ジブリ」は大盛況(シネマトゥデイ)
    ジブリ美術館 ホームページ
    [PR]
    # by corin_depper | 2006-08-13 02:59 | Newsアーカイブ
    行ってきました、ジブリ美術館!
    今日ついに行ってきましたよ、三鷹の森ジブリ美術館。いろいろ書きたいことがあって頭の整理が追いつかない状態です(汗)。個人的には、メイちゃん気分ですごく無邪気に楽しんできてしまいました。感想はちょっとまじめに書きます。

    e0039500_1144721.jpg

    まず、最初に思ったことは、「もし私が映画学を教える機会なんぞあったなら、授業初日はここに生徒を連れてこよう」ってことでした。ジブリ美術館はあくまで「美術館」であって、ディズニーのような「テーマパーク」ではありません。何かを知り、学び、考える場所なんです。ジブリ美術館にとってその「何か」とは、「映画」にルビ振って「アニメーション」なんですね。入り口を抜けると一番最初に「ゾエトロープ」の部屋があるのですが、ここがすごい。教科書では読んだことはありますが、こんなにいろんな種類のゾエトロープを実際に見るのは初めてです。それぞれのゾエトロープには、どうして絵やミニチュアが動いているように見えるのかという説明が付いていて、それを親子が「へぇ~」って言いながら読んでるんですよね。部屋の最後まで回り切る頃には、フィルムに光を点滅させて映像を作り出す、「映画」の仕組みそのものを体験的に学べるようになっています。子供たちが「ゾエトロープ」なんて言葉を覚えて帰ることは無いと思うけれど、目の錯覚が映像を生み出し、映画へと発達してきた歴史・過程を体験的に学ぶには十分なんじゃないかなぁと。

    他の階では、現在の“「映画」にルビ振って「アニメーション」”の製作過程を知ることができるようになっていて、絵コンテや台本も公開されています。また、2Fの図書館には絵本の傍ら、映画学に関する学術書も置いてあります(あくまで入門書的ですが)。Donald Richieの本もあったりして、「そうか…リチー派だったのか…」なんて(苦笑) とにもかくにも、宮崎駿をはじめ、ジブリの人たちは優れたアニメーターであると同時に、非常に熱心な研究者でもあるんだなぁと感じました。じゃなければ、「ゾエトロープ」からは始めないでしょう。

    e0039500_119858.jpg

    次に、気になったことを一つ。資料の展示方法なのですが、ジブリ美術館では手書きのコンテやラフをそのまま(ラミネートや額なしに)、日の当たるところにまでペタペタ貼ってあるんです。つまりは美術館や博物館の持つ「文化の保存・修復」という役割を完全に放棄してるんですね。もちろん明らかに大事な資料は額に入って手の届かない高いところに展示してあったりするんですが、新しい映画が出来るたびに展示物を替えていくため保存を目的としないのか、それとも客が触って楽しめるようにわざとそうしているのか、理由はよくわかりませんが、それにしてももったいない感じがしました。

    それと同時に、もう一つ気になっていたことがあったんですが、それは言語です。明らかに外国人客も来るはずなのに、日本語以外での説明、スタッフの対応が異常に少ないんです。ほぼ皆無と言っても過言じゃないくらい。実際、今日私の周りの1/3くらいは外国人でした。ただ、この疑問を解くカギは上記とリンクしているのかな、とも思います。一見、ジブリ美術館の展示方法では、展示品を盗まれたり、破壊されたりする危険性が高いように見えます。つまり、展示物の維持は客のマナーやモラルにほぼ100%かかっているんですね。でも、ジブリ美術館の場合、マナーやモラルというよりは、ジブリ(作品)を慕う気持ちにかかっているのではないかと思うんです。

    よく考えて見れば、普通の訪日外客が、東京都内とはいえども、一日かけてはるばる三鷹まで足を運ぶわけがない。ジブリ美術館に来るのは、ジブリ作品を知っていて、かつ美術館があることを知っていて、そして限られた日本滞在期間の一日を丸々費やしてまでも見に行きたい人たちなんですよね。大体の外客が、ジブリ作品を通して、あるいは日本文化を通じて、日本語に親しみを持ち、ある程度理解し使うことができる。よって外国語での説明やスタッフ対応がなくてもそれほど支障はないのかもしれません。私の後ろの客も日本語のメニュー、がんばって読んでました。そして、そういう客は展示物の価値を理解しているため、窃盗や破壊行為に走らない。まあ、これは私の憶測に過ぎないし、全てがそういうわけじゃないとは思いますがね。ただ、ジブリ美術館の展示方法が、美術館と客の間の信頼という脆弱な関係に基づいて成立していることは確かなんじゃないでしょうか。個人的には、それが壊れるときに起こることが怖い……

    e0039500_125335.jpgなが~くなってしまったのでこれにてストップします(汗) 3つしかUPできませんでしたが、よく晴れてたのでいい写真もいっぱい撮れました。ちなみに、「こんなとこ、あと5年したら潰れとるわ~」と大声で喚いていた父親がいましたが、あくまで美術館なので、子供の知的好奇心を伸ばす気が無いと一緒に「ギャーッ」と叫べるアトラクションをお望みの方はUSJかディズニーランドへ行かれたほうがいいと思います。

    Corin

    参照:http://www.ghibli-museum.jp/
    [PR]
    # by corin_depper | 2006-08-06 01:30 | 雑記
    映画『太陽』にまつわるエトセトラ
    e0039500_22143743.jpg先日オフィシャルブックの発売をとりあげましたが、今回は映画『太陽』について2つ興味深い記事を見つけたので紹介です。一つは監督ソクーロフ氏のインタビュー(日本語)です。海外でされたものとあまり受け答えは変わっていませんが、日本語で日本国内向けにされたインタビューとしては興味深いです。もう一つはこの映画を取り巻く環境と障害についての記事(英語)です。映画の中身自体ではなく、映画の外での議論がここまで大きい作品も中々ありませんし、非常によくまとまっていて、映画を見る上で逆に押さえておきたい基本的な予備知識にもなりそうなので紹介します。

    「太陽」アレクサンドル・ソクーロフ監督インタビュー

    Shaping Hirohito on film
    Flick on Emperor one of few daring to explore the life of wartime leader

    Depper

    追記:
    映画誌「映画芸術」(2006年夏号 No.416 7月29日発売)にもソクーロフ氏との対談や議論がされているようです。
    [PR]
    # by corin_depper | 2006-08-03 22:20 | 雑記
    『ゲド戦記』寸感
    e0039500_13351889.jpg先日公開された新作ジブリ作品『ゲド戦記』が余り好評ではないようですね。ざっと一般の反響をネット上で垣間見たところ、なぜ余り好評となっていないのかそのメカニズムが見えてきた気がしたので寸感です。傾向としては、物語、つまりナラティブが分かりにくい、というところでしょうか。もちろん私は未見なので、実際のところは把握しかねます(よってこの記事はレビューや評ではないです)けど、映画の外から見えてくるものを少しばかり。現代(商業)映画批評をする上で映画の内容から外に出た、つまり外郭となるイメージを検証するという作業は映画研究において近年大変重要視されているので、半ばその実践例となれば幸いです。

    ①ジブリアニメ作品=宮崎駿作品という強烈なイメージとの誤差

    これが第一に来るのではないでしょうかね。もしかすると、これに尽きるかもしれません。分かりやすいメッセージ性と物語り進行、それに加えて思春期を迎えた女性の主人公が抱える葛藤とその解決、そしてそれが空であったり、異世界であったりとうまーくファンタシーコーティングが施される宮崎駿監督作品とのギャップが『ゲド』にはあるのではないでしょうかね。いわゆるこうした宮崎駿氏が作り上げてきた「ひな型」を世襲していないであろうということが伺われますね。ここを出発点として、次にいくつか派生するものを以下に。

    ②主人公と配役

    見たところ、主人公は男性。そしてそこに絡んでくるのも男性のキャラクターのようです。そこに女性のキャラクターはいかに関わってくるのでしょうか。お決まりの従属的役割しか与えられていない場合、感情移入ができない観客層は増えてくるのではないでしょうかね。個人的には、擬似家族のような配役構造になっているかも注目してみたいと思っています。

    ③シュールかつ内省的な精神世界感とナラティブ構造

    いわゆる、階段を一歩ずつ上がっていくような、一つ一つ問題をクリアしながら主人公が成長をしていくような、そして最後にはさわやかなリデンプションが待ち受けているような、そんな物語進行と構造をしていないのではないでしょうか。主人公のよどんだ内面であったり、葛藤がさしたる解決を見ないうちに、あちこちに流れ着くまま進行ではなく停滞するような、そんな構造をしているように思われます。得てして、こうしたナラティブ構造の映画をうまく消費できるような観客層が(特に日本では)少ないのではないでしょうかね。それに加え、ジブリアニメというステレオタイプとも反駁してしまうのでは、やはり苦しいレセプションとなるのは必然なのかもしれません。

    総評として、つまり、多くの観客が抱く、ジブリアニメに対する「予期・期待」にそぐわない作品となっていること、それをいい意味で裏切るという形で受容されていないという点に尽きるのではないでしょうか。最初から宮崎吾朗氏はこうした固定イメージとの戦いを強いられていたわけで、もともと爆弾を抱えていたわけで、もし、これまでのジブリアニメの「ひな型」からの脱皮と自己の作家性の主張に重きを置くのであれば、大変険しい道のりとなるでしょうね。逆に、もしかしたら、彼がジブリアニメのもう一つのイメージや「型」を作り出すのかもしれません。その結果はこれからの推移を見守るしかないでしょう。

    さて、この『ゲド戦記』どこまで興行を伸ばしますかどうか、見守ってみたいと思います。「良い/悪い」で二極化されてしまいがちな日本の映画評が多い中で、果たしてどこまで出だしの不評を挽回できるでしょうかね。上記した項目のような部分を分析したようなレビューや映画評が上がってきてくれるといいのですがね。不評を見るに付け、余計に見る気を刺激されたわけでした。見る機会があったらぜひレビューと今回の上記寸感とのすり合わせをしてみたいと思います。
    Depper

    参照:
    http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail/tymv/id324031/

    http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/ff20060728a1.html(Japan Times)
    http://www.yomiuri.co.jp/dy/features/arts/20060729TDY15002.htm(Daily Yomiuri)
    [PR]
    # by corin_depper | 2006-08-02 14:11 | 雑記