• 映画を少しばかり外から眺めてみるそのカタチ
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    カテゴリ:雑記( 56 )
    ジブリ美術館産ゾエトロープペーパークラフト
    先日Corinが行ってきたジブリ美術館のお土産にタイトルにあるような便箋型のゾエトロープペーパークラフトが送られてきたので、早速我がハウスメートが制作着工。1~2時間もあれば作り終わるのでは、なんて思っていたらなんと6時間前後もかかりました(苦笑) これが案外細かく設計されていて切り貼りだけでものすごい労働でして、隣で見ている(手伝わない・・・笑)私も疲れてしまいました。 なかなか小学生などのちびっ子が興味本位で作り始めて無事に制作終了できるものかと、やや懐疑的でありますが、それでも(自分で作ったわけではないですが)簡単なゾエトロープ制作と原理を知る体験としては面白いものを販売しているなぁ、と思います。アニメの原点であるパラパラ漫画とはある種鑑賞方法としても一線を画す技法での装置、これを直に触れてみる、大事なことではないでしょうかね。こうしたある種教育的な体験を提供するジブリの姿勢はなかなかですね。ただ、唯一残念であったのが、出来上がった状態でのゾエトロープとしての機能があまり精巧ではなかったという点でしょうかね。ミニチュアなのでいたしかたない部分もありますが、やはり一定のスピードで回転できるような仕組みになっていないと、ゾエトロープを視覚的に体験するには至りません。そこまでこの紙に要求するのはもちろん酷なのでしょうが、作り終えてみてやはり残念な気持ちになったのもまた真であります。さて、出来上がりを写真に撮ったものが↓です。汗と苦労の結晶をごらんあれ。ハウスメート氏、ご苦労様でした。
    e0039500_10594160.jpg

    Depper

    参照:
    http://kozoism.exblog.jp/3940195/
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    by corin_depper | 2006-08-17 11:00 | 雑記
    行ってきました、ジブリ美術館!
    今日ついに行ってきましたよ、三鷹の森ジブリ美術館。いろいろ書きたいことがあって頭の整理が追いつかない状態です(汗)。個人的には、メイちゃん気分ですごく無邪気に楽しんできてしまいました。感想はちょっとまじめに書きます。

    e0039500_1144721.jpg

    まず、最初に思ったことは、「もし私が映画学を教える機会なんぞあったなら、授業初日はここに生徒を連れてこよう」ってことでした。ジブリ美術館はあくまで「美術館」であって、ディズニーのような「テーマパーク」ではありません。何かを知り、学び、考える場所なんです。ジブリ美術館にとってその「何か」とは、「映画」にルビ振って「アニメーション」なんですね。入り口を抜けると一番最初に「ゾエトロープ」の部屋があるのですが、ここがすごい。教科書では読んだことはありますが、こんなにいろんな種類のゾエトロープを実際に見るのは初めてです。それぞれのゾエトロープには、どうして絵やミニチュアが動いているように見えるのかという説明が付いていて、それを親子が「へぇ~」って言いながら読んでるんですよね。部屋の最後まで回り切る頃には、フィルムに光を点滅させて映像を作り出す、「映画」の仕組みそのものを体験的に学べるようになっています。子供たちが「ゾエトロープ」なんて言葉を覚えて帰ることは無いと思うけれど、目の錯覚が映像を生み出し、映画へと発達してきた歴史・過程を体験的に学ぶには十分なんじゃないかなぁと。

    他の階では、現在の“「映画」にルビ振って「アニメーション」”の製作過程を知ることができるようになっていて、絵コンテや台本も公開されています。また、2Fの図書館には絵本の傍ら、映画学に関する学術書も置いてあります(あくまで入門書的ですが)。Donald Richieの本もあったりして、「そうか…リチー派だったのか…」なんて(苦笑) とにもかくにも、宮崎駿をはじめ、ジブリの人たちは優れたアニメーターであると同時に、非常に熱心な研究者でもあるんだなぁと感じました。じゃなければ、「ゾエトロープ」からは始めないでしょう。

    e0039500_119858.jpg

    次に、気になったことを一つ。資料の展示方法なのですが、ジブリ美術館では手書きのコンテやラフをそのまま(ラミネートや額なしに)、日の当たるところにまでペタペタ貼ってあるんです。つまりは美術館や博物館の持つ「文化の保存・修復」という役割を完全に放棄してるんですね。もちろん明らかに大事な資料は額に入って手の届かない高いところに展示してあったりするんですが、新しい映画が出来るたびに展示物を替えていくため保存を目的としないのか、それとも客が触って楽しめるようにわざとそうしているのか、理由はよくわかりませんが、それにしてももったいない感じがしました。

    それと同時に、もう一つ気になっていたことがあったんですが、それは言語です。明らかに外国人客も来るはずなのに、日本語以外での説明、スタッフの対応が異常に少ないんです。ほぼ皆無と言っても過言じゃないくらい。実際、今日私の周りの1/3くらいは外国人でした。ただ、この疑問を解くカギは上記とリンクしているのかな、とも思います。一見、ジブリ美術館の展示方法では、展示品を盗まれたり、破壊されたりする危険性が高いように見えます。つまり、展示物の維持は客のマナーやモラルにほぼ100%かかっているんですね。でも、ジブリ美術館の場合、マナーやモラルというよりは、ジブリ(作品)を慕う気持ちにかかっているのではないかと思うんです。

    よく考えて見れば、普通の訪日外客が、東京都内とはいえども、一日かけてはるばる三鷹まで足を運ぶわけがない。ジブリ美術館に来るのは、ジブリ作品を知っていて、かつ美術館があることを知っていて、そして限られた日本滞在期間の一日を丸々費やしてまでも見に行きたい人たちなんですよね。大体の外客が、ジブリ作品を通して、あるいは日本文化を通じて、日本語に親しみを持ち、ある程度理解し使うことができる。よって外国語での説明やスタッフ対応がなくてもそれほど支障はないのかもしれません。私の後ろの客も日本語のメニュー、がんばって読んでました。そして、そういう客は展示物の価値を理解しているため、窃盗や破壊行為に走らない。まあ、これは私の憶測に過ぎないし、全てがそういうわけじゃないとは思いますがね。ただ、ジブリ美術館の展示方法が、美術館と客の間の信頼という脆弱な関係に基づいて成立していることは確かなんじゃないでしょうか。個人的には、それが壊れるときに起こることが怖い……

    e0039500_125335.jpgなが~くなってしまったのでこれにてストップします(汗) 3つしかUPできませんでしたが、よく晴れてたのでいい写真もいっぱい撮れました。ちなみに、「こんなとこ、あと5年したら潰れとるわ~」と大声で喚いていた父親がいましたが、あくまで美術館なので、子供の知的好奇心を伸ばす気が無いと一緒に「ギャーッ」と叫べるアトラクションをお望みの方はUSJかディズニーランドへ行かれたほうがいいと思います。

    Corin

    参照:http://www.ghibli-museum.jp/
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    by corin_depper | 2006-08-06 01:30 | 雑記
    映画『太陽』にまつわるエトセトラ
    e0039500_22143743.jpg先日オフィシャルブックの発売をとりあげましたが、今回は映画『太陽』について2つ興味深い記事を見つけたので紹介です。一つは監督ソクーロフ氏のインタビュー(日本語)です。海外でされたものとあまり受け答えは変わっていませんが、日本語で日本国内向けにされたインタビューとしては興味深いです。もう一つはこの映画を取り巻く環境と障害についての記事(英語)です。映画の中身自体ではなく、映画の外での議論がここまで大きい作品も中々ありませんし、非常によくまとまっていて、映画を見る上で逆に押さえておきたい基本的な予備知識にもなりそうなので紹介します。

    「太陽」アレクサンドル・ソクーロフ監督インタビュー

    Shaping Hirohito on film
    Flick on Emperor one of few daring to explore the life of wartime leader

    Depper

    追記:
    映画誌「映画芸術」(2006年夏号 No.416 7月29日発売)にもソクーロフ氏との対談や議論がされているようです。
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    by corin_depper | 2006-08-03 22:20 | 雑記
    『ゲド戦記』寸感
    e0039500_13351889.jpg先日公開された新作ジブリ作品『ゲド戦記』が余り好評ではないようですね。ざっと一般の反響をネット上で垣間見たところ、なぜ余り好評となっていないのかそのメカニズムが見えてきた気がしたので寸感です。傾向としては、物語、つまりナラティブが分かりにくい、というところでしょうか。もちろん私は未見なので、実際のところは把握しかねます(よってこの記事はレビューや評ではないです)けど、映画の外から見えてくるものを少しばかり。現代(商業)映画批評をする上で映画の内容から外に出た、つまり外郭となるイメージを検証するという作業は映画研究において近年大変重要視されているので、半ばその実践例となれば幸いです。

    ①ジブリアニメ作品=宮崎駿作品という強烈なイメージとの誤差

    これが第一に来るのではないでしょうかね。もしかすると、これに尽きるかもしれません。分かりやすいメッセージ性と物語り進行、それに加えて思春期を迎えた女性の主人公が抱える葛藤とその解決、そしてそれが空であったり、異世界であったりとうまーくファンタシーコーティングが施される宮崎駿監督作品とのギャップが『ゲド』にはあるのではないでしょうかね。いわゆるこうした宮崎駿氏が作り上げてきた「ひな型」を世襲していないであろうということが伺われますね。ここを出発点として、次にいくつか派生するものを以下に。

    ②主人公と配役

    見たところ、主人公は男性。そしてそこに絡んでくるのも男性のキャラクターのようです。そこに女性のキャラクターはいかに関わってくるのでしょうか。お決まりの従属的役割しか与えられていない場合、感情移入ができない観客層は増えてくるのではないでしょうかね。個人的には、擬似家族のような配役構造になっているかも注目してみたいと思っています。

    ③シュールかつ内省的な精神世界感とナラティブ構造

    いわゆる、階段を一歩ずつ上がっていくような、一つ一つ問題をクリアしながら主人公が成長をしていくような、そして最後にはさわやかなリデンプションが待ち受けているような、そんな物語進行と構造をしていないのではないでしょうか。主人公のよどんだ内面であったり、葛藤がさしたる解決を見ないうちに、あちこちに流れ着くまま進行ではなく停滞するような、そんな構造をしているように思われます。得てして、こうしたナラティブ構造の映画をうまく消費できるような観客層が(特に日本では)少ないのではないでしょうかね。それに加え、ジブリアニメというステレオタイプとも反駁してしまうのでは、やはり苦しいレセプションとなるのは必然なのかもしれません。

    総評として、つまり、多くの観客が抱く、ジブリアニメに対する「予期・期待」にそぐわない作品となっていること、それをいい意味で裏切るという形で受容されていないという点に尽きるのではないでしょうか。最初から宮崎吾朗氏はこうした固定イメージとの戦いを強いられていたわけで、もともと爆弾を抱えていたわけで、もし、これまでのジブリアニメの「ひな型」からの脱皮と自己の作家性の主張に重きを置くのであれば、大変険しい道のりとなるでしょうね。逆に、もしかしたら、彼がジブリアニメのもう一つのイメージや「型」を作り出すのかもしれません。その結果はこれからの推移を見守るしかないでしょう。

    さて、この『ゲド戦記』どこまで興行を伸ばしますかどうか、見守ってみたいと思います。「良い/悪い」で二極化されてしまいがちな日本の映画評が多い中で、果たしてどこまで出だしの不評を挽回できるでしょうかね。上記した項目のような部分を分析したようなレビューや映画評が上がってきてくれるといいのですがね。不評を見るに付け、余計に見る気を刺激されたわけでした。見る機会があったらぜひレビューと今回の上記寸感とのすり合わせをしてみたいと思います。
    Depper

    参照:
    http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail/tymv/id324031/

    http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/ff20060728a1.html(Japan Times)
    http://www.yomiuri.co.jp/dy/features/arts/20060729TDY15002.htm(Daily Yomiuri)
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    by corin_depper | 2006-08-02 14:11 | 雑記
    映画『太陽』オフィシャルブック発売
    e0039500_813414.jpg噂の映画『太陽』のオフィシャルブックが発売されたようです。多くの著者による共著形式でまとまめられているようで、目次のタイトルを見るだけで萎えてしまうのもありますが、中にはぜひ眼を通して見たいものもあります。著者の顔ぶれでも何人か興味を惹かれますね。少なくとも映画研究畑の人たちも居ますので、この映画をどう読んでどういった切り口でどのようなフレームで括るのか、非常に興味があります。少なくとも、映画自体以上にイメージが先行して取り付く作品なので、一筋縄ではいかないと思いますし、下手をするとあっという間に映画の話ではなくなってしまう危険性も多分にあります。さて、お手並み拝見といきますかね。
    Depper


    参照:
    「太陽」オフィシャルブック(Amazon.co.jp)
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    by corin_depper | 2006-07-31 08:14 | 雑記
    プロとアマチュアと映像撮影
    最近はとんと記事投稿少なくなってしまっていますが、たまには身の回りに起きた出来事を綴ってみたいと思います。

    先日我がフラットメートの知り合いが大学のバーでライブ演奏をするので記念にビデオを撮りたいとのことで、今や時代遅れになりつつある私のビデオカメラを貸し出しまして、私も現場へのこのこと出かけたわけです。

    まぁ、メリケンの国ではビデオカメラではなく、カムコーダー(Camcorder)であったり、今回はデジタルビデオテープで撮ったりなどはさて置きまして。遅れに遅れたライブ演奏が始まったかと思いきや、ある事件が起きたわけです。

    フラットメートのM君は三脚にカメラ固定で正面から演奏を撮っていたわけですが、1,2曲終わったところで、イギリス人のオジサンが登場。なんと彼からカメラを奪取すると自らステージまで行って演奏をなめるように撮り出したわけです。

    私はやや後方でビールを飲んでいたので、詳しいやり取りはわかりませんでしたが、M君曰く、そのオジサンはどうやらどこぞローカルテレビ局のプロのカメラマンだとのこと。三脚でじっくりとっているM君を見かねて、ライブ演奏ってのはこうやって撮るもんだと見せたかった模様です。

    その後、M君もオジサン方式でカメラを手に持ってステージの四方八方から撮影をするという方式に移行、そのまま最後まで無事撮り終えたわけなんです。まぁ、その様子を傍から見ていて色々と考えさせられたというわけ。

    私は制作者ではありませんし、また製作側の人間でもありません。あくまで撮られたもの製作された物を観るという側の人間なのですが、しかし、アマチュアとしてはその限りではありません。いわゆる私的目的ではカメラを回すわけですよ、えぇ、友人・知人の結婚式などはよく頼まれるわけでして、たまには出される料理や酒に舌鼓なんてことをしてみたいわけですが・・・。

    要するに、何を考えさせられたかと言いますと、そのオジサンはプロのカメラマンとして俺はライブ演奏ならこうやって撮るというのをひけらかす見せたかったわけでして、M君が三脚固定カメラで撮影という方式を選んだのにも彼なりの選択があったわけなのです。どちらが良い悪いという問題では全くないわけでして、撮影の手法によって撮られた映像はもちろん全く変わってくるわけですよね。

    もちろん映像のダイナミズムを重要視するならば、固定じゃなくアングル高さ関係なく手持ちで、例えば観客からは見えない部分、つまり後ろ側であったり、ギターのストロークのアップであったり、ドラムの足裁きだったりするわけですよね。もちろん三脚固定ではこういう映像は取れない。

    しかし逆を言えば、↑のような撮影である場合(もちろんカメラは一つですし、複数台あればまた話は別ですが)、全体の雰囲気や観客と同じような目線、つまり引いたショットは取れないわけです。例えば、その場で起きている出来事(ライブ演奏ですが)を客観的に記録するということを念頭に置いた場合には引いた場所で固定してカメラを回す、そういうことになるんだと思います。

    M君はデジタルカメラでよく写真を撮る人物なわけですが、彼の写真に共通することは、様式でしょうかね、水平ラインと構図です。非常に繊細にフォーカスする物とその周りにあるものとの位置・距離関係を考慮します。その上で基準としているのが水平ラインというわけです。だもので、撮影前夜などに、手持ちで撮ったらこうなる、固定したらこういう効果が強調できる程度のことは伝えましたが、最終的にM君が彼の判断で三脚固定でビデオカメラを回したことに私は腑に落ちていたわけです。

    そこで、プロのオジサン。ズームは使うな、手持ちで歩いて寄れ、どこをフォーカスしろ、こういう時は上から下から云々。それが「Golden Rule」だとまでのたまわった様子。それは、彼のプロとしてのテレビカメラマンとしての「Golden Rule」ですよね。今回はいわゆるホームムービーです。そのオジサンが良かれと思ってしたのだという事は明白ですが、自分の勘と感性を頼りに撮っているM君にはすごく権威的なものであったに違いありません。プロであれば、もう少し配慮の仕方があったのではないかと思うわけなんですよ。もしくは、わざわざ自分はプロだからというラベルを使う必要があったのですかね。まぁ、プロが教育者であるという必要もないわけなので、なんとも言えませんが。

    アマにはアマなりの、ひいてはその個人の「Golden Rule」ってのがあるわけなんですよね、きっと。もちろん、プロであっても基本的なルールはあくまでベースであって、それをするのが職人なわけなんですが、表現者ということであればたとえプロでも話は違ってくると思います。そういう職人ルールも映像を撮るカメラが誕生して以来その機器の発達に伴って、様々な実験や考証の繰り返しで出来上がったものですしね。

    結局この記事で何が言いたいのかは自分自身でも良くわかりませんが、その場を見ていてなーんか釈然としなかったのと、数日過ぎてもいまいち消化しそこねているのとで、書いてみることにしました。もし、皆さんが同じ場面に当事者として出くわしたら・・・

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    What would you do?





    Depper

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    by corin_depper | 2006-06-11 18:44 | 雑記
    Conversation: NHK大河ドラマ『義経』歴史からドラマから
    この度le monde lunatiqueのLunatiqueさんよりNHK大河ドラマ『義経』の記事に対して非常に有りがたい有益なコメントを頂きました。おっかなびっくり雑記としてドラマ内の議論に籠もっていた殻をざっくりと割って裸で出てきたところにピタリと合う歴史的知識という鎧を着せていただいた感じです。ということで、その鎧を着ながら、Lunatiqueさんのコメントにコメントを返すような対話形式で今回の記事エントリーとしたいと思います。
    e0039500_1062388.jpg

    Lunatique
    まずは「嫡流」ということについてですが、現在の歴史学から考えると、「頼朝が源氏の嫡流であった」というのは、いささか疑問です。今回、大河ドラマ放送に合わせて、日本でもいくつかの義経本が出ましたが、それらの新しい成果は、義経の母・常盤の研究が進んだということですね。その結果、頼朝の母と義経の母に格の違いはさほどなく、むしろ常盤は非常に格が高く、義朝存命であれば義経が嫡流となる可能性もあったということです。ですから、頼朝が嫡流のプライドで生きているように描いているのは、過去の歴史学に縛られた、ドラマの設定ミスです。むしろ、実際の頼朝は、嫡流を主張できないがゆえに、一族の動きに敏感だったともいえるのではないでしょうか。そうしないと、たとえば義仲の意識なんかもうまく説明できないですね。

    Depper
    中等教育の教科書レベルの歴史的知識程度しか持ち合わせない私としては、「頼朝が源氏の嫡流ではない可能性」という議論は排除されていました。ドラマ内では妻に娶った北条政子が暗示のように「あなたは嫡流、義経は傍流」と頼朝にアイデンティティの鎧を着せていたのを思い出しました。以後頼朝が嫡流というプライドにすがるようになったのもそこに着目することでドラマ内の因果関係として説明がつくように思います。そして沸々と湧き出る兄弟愛への執着は同時に「嫡流」という血のプライドとアイデンティティを脅かすもので、他の同じ血筋を受け継ぐものたちへの距離の置き方などもある程度説得力のある心象構造となるのではないでしょうか。
    e0039500_1064454.jpg

    Lunatique
    ちなみに平家の方も、清盛の長男・重盛ではなく三男・宗盛(異母弟)がいちおう「嫡流」と考えられますが、さかのぼれば清盛(忠盛の長男)自身は必ずしも嫡流とはいえず、清盛の兄弟のなかでは頼盛が嫡流的存在と考えられます。頼盛の母・池の禅尼が頼朝の助命を願い、清盛がそれをこばめなかったというのは、清盛の心情だけではなく、平家一族のなかの嫡妻・嫡流問題が絡んでいるのですね。ですから清盛は、自分の力で「嫡流」にのし上がった人物といえ、理論的には、義経にもそれは可能だったと思います。この辺の経緯は、結果的に、ドラマではうまく描けていたと思います。

    Depper
    清盛もまた頼朝とおなじく嫡流というアイデンティティとそのコンプレックスを抱いていた、という見方をすると「清盛、頼朝、義経」という関係は三角関係になって非常に面白いですね。ドラマ内で義経は最終的に清盛の夢の担ぐことで自らのアイデンティティの崩壊を防ぐわけですが、頼朝もまたしている行為は清盛と同じ根を持ち、清盛以上に執着することでアイデンティティを保持するという構図は面白いです。義経はある種清盛、頼朝の両者にとってはそれぞれかわいい息子もしくは弟であると同時に、弁慶の泣き所もしくは自身を転覆させかねない爆弾であったというわけです。平家の物語が非常に色濃く出ていた今回の『義経』への回答にもなるかもしれませんね。
    e0039500_10706.jpg

    Lunatique
    ところで、上記の常盤研究のなかで、鎌倉時代に義経が傍流とされた理由もいろいろと考察されていますが、端的にいえば、それは頼朝側の情報操作であり、そのなかで、常盤はしだいに「いやしい女性」におとしめられていった(そして義経はいやしい女性の子)、ということですね。平家のお家事情、補足しておきますと、清盛の母、いわゆる祇園女御という女性は、どういう人物かはっきりしない人です。白河院(後白河院の曾祖父)の側室とかいろいろ言われていますが定説はありません。ただ白河院に非常に近いところにいた人物だというのはたしかですね。
    これとからんで注目されるのは、清盛の実父が忠盛なのか白河院なのかはっきりしないということです。これについてもいろいろな説があります。ただ、これは清盛が生きていたころから二説ありまして、つまり、清盛は白河院の落としだねではないかと噂されていたということです。

    Depper
    この大河ドラマのドラマツルギーの軸はなんといっても、「階級、身分、アイデンティティ」なわけで、それはLunatiqueさんの歴史的解説を聞いてさらに確信に近づいたわけですが、嫡流・傍流という血筋・家柄などの社会的な枠の次に注目すべきはやはりより私的な血のつながりと関係(親・兄弟など)で、そこで本来養われ確立されるべきアイデンティティが清盛・頼朝・義経と三者とも何かが大きく欠如しているわけで、その三者のアイデンティティの揺らぎがそのままドラマとなっていますよね。その上で、(歴史的な見地からの)彼らの親子関係と(ドラマの中で描かれる)彼ら三者間にある擬似的な親子関係とを重ねるとこれまた面白いですね。ナラティブ構造の輪郭がよりはっきり見えてくる気がします。

    そして最後になんと行っても興味深いのは「女性登場人物」の存在と機能といいますか、フォーカスのされ方だと思います。話は少し戻りますが、常盤の研究が進んだのにもその辺に理由があるように思います。もちろん、女性の視聴者を獲得するためには女性の登場人物もドラマに絡んでその顔がよく見えるようにする商業的な必要性はあると思われますが、清盛・頼朝・義経と三者とも女性たちによって彼らの人生を大きく左右されることになるわけです。これは、後に別記事を立てる予定ですが、中でも一番注目したいのが上戸彩演じる「うつぼ」という女性の登場人物です。これは察するに(語り手と同じく)ドラマに挿入された架空の人物であると思われますが(モデルになるような逸話や人物はいたのかな?)、彼女のドラマ内での役割と機能はこのドラマを語る上では決して無視しては通れないでしょう。
    e0039500_1093571.jpg

    と、次回の前振りをしたところで今回はこれまで。
    最後にLunatiqueさん、ありがとうございました。こういう対話ができるというのはブログ冥利というものですね~。
    Depper

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    by corin_depper | 2006-04-01 09:59 | 雑記
    マッピング
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    by corin_depper | 2006-03-28 06:22 | 雑記
    英国式・米国式プレゼンテーション
    またまたご無沙汰しておりますが、この辺でまた小話を一つ。

    最近は時期的にも映画学関係の研究者の研究発表を聞く機会が激増したわけなんですが、先日もうちの大学が【ワールドシネマ】という枠で教員を募集しまして、書類選考に通った4者の公開プレゼンテーションを聴講してきたわけです。いわゆる自分の直属の上司の人事とあって、いつになく真剣に参加してきたわけですが、その時に一つ目に付いたことを今回は記事にしてみようと思います。

    それは英国式・米国式プレゼン手法の違い

    とでも申しましょうか、4者の発表スタイルに決定的な違いを見たわけです。4者中、2人がイギリスで教育を受け、研究をしてきた人たち、そしてもう2人はそれがアメリカなわけです。 違いを探し出すとキリがないですが、端的に特に何が目だって違ったかといいますと、

    イギリス=座る
    アメリカ=立つ

    ということです。自身の時もそうでしたが、基本的にイギリスでは発表者は腰掛けて発表を行うように思います(発表の場所や状況にもよるでしょうが)。ということで、今回もうちの大学は発表者に机と椅子をもちろん用意したわけです。イギリス派(勝手にそう呼びますが、笑)は促されることもなくまず腰掛けてプレゼンをはじめるのに対し、アメリカ派はその机の前に立ちはだかって半ば仁王立ちのような姿勢でプレゼンをはじめるわけです。

    両者の良し悪しを言うつもりはありませんし、各々それなりの効果があるわけですが、前面に立たれ、片手は腰へ、もう片手に原稿を手にして発表する様はかなり威圧的に映りましたし、こちらも、ムムム、と構えます。一方で、机を隔てて座られると発表者自体の顔やそのいでたちの印象は薄まりますが、目線が下がるためもあるのか、こちらもリラックスして発表内容に耳を傾けられた気がします。

    更に面白かったのは、アメリカ派は発表が終わり司会が質疑応答時に着席を促しても、「I am good in standingです!」みたいな発言を一様にして立ち続けたということでしょうか。これには少々驚きました。質疑応答は多かれ少なかれ、発表者と聴衆とのコミュニケーションとなるわけなので、威圧的に立ち続けられると、半ば対立的な様相を呈してきます。その一方で座っている状態のほうは並列的なコミュニケーション、同じ目線での受け問答ができる印象が強いですし、実際にそういう形になりました。

    少なくとも今回、プレゼンの性質自体が学会発表のようなものではなく、聴衆が学生ではなくほとんどが同じ教員や研究者の立場にある人、そして聴衆がその発表者が自分たちの大学に適格かどうかを判断するという性格を持っているので、発表後のコミュニケーションの場まで威圧的な効果を出そうとするのはむしろ逆効果を生みかねないのでは?と個人的には思いましたが、それもこれも自分がイギリス流に慣れてしまっただけなのかもしれません。なにせ、自身がアメリカからイギリスへ渡ってきた当時に「発表者が座るのかよ?!」と驚いた記憶も蘇りましたしね。。。あの場で何人がその違いに目をつけたかどうか、それも知りたいところです。
    Depper

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    by corin_depper | 2006-03-25 01:33 | 雑記
    映像学術誌における引用スチール写真掲載の現状
    またまたご無沙汰してしまっておりますが、今回は、学術的書物における映画キャプチャー画像の引用に対する日本映画界の対等と疑問とそこにある閉塞性について吼えて書いてみようかと思います。

    論文発表を明日、明後日に控えて、まさにてんやわんやと大騒ぎしていた矢先の出来事だったわけですが、以前論文投稿をしたある映像学術雑誌があったわけです。そこの編集長の方からいよいよ印刷が始まってるであろう頃にメールを頂いたわけですよ。それはある種の通知だったわけですが。端的に内容はこうです↓
    「Depper様から寄稿頂いた論文原稿内での映画からの写真引用ですが、著作元と掛け合いましたが、スチールをしようする場合は『教科書』と認められるもの以外は白黒一枚2,500円との規定を譲れないとので、(投稿した学術誌)は公共性も高いので無料での掲載を交渉しましたが、最終的に了解を取り付けることができませんでした。

    よって、Depper様の原稿内にある引用スチール写真全てをはずすこととなりました。どうぞご了解くださいますよう、よろしくお願い致します」
    学術誌とその編集の方たちには大いに感謝こそすれ全く責める気持ちはありませんが、非常に残念な結果となったものです。以前より、日本での映画スチール写真引用に関して不都合な点が多いとは耳にしていましたが、まさに自身がその不利益を被ることになろうとは・・・orz

    スチール写真無しにどうやって映像分析をしたらよいと言うのでしょうかね。まぁ、代金を払えと言われてしまえばそれまでですが、学術誌などはその学術性と公共性に重点が置かれた出版物で商業的な利益を度外視しているために、払える予算的余裕が無いわけです。そして写真引用を抜かれてしまう私の論文はその論の価値を半分以上失ってしまうことになると思います。全く成立しないというわけではありませんが・・・。カラーだと一体いくら払えということになるのでしょうかね。色が無くなるだけでも相当な損失であるのに。

    これでは、欧米のスタンダードから見てもこの状況は決して楽観視できないどころか、日本における映像・映画学の将来は決して明るくないように思えて仕方がありません。日本映画界において、映画の学術的研究は軽んじられているのだなぁと改めて痛感してしまいました。「製作→配給→上映→フィードバック→製作・・・」このサイクルは映画にとって必要不可欠だと思いますが、そのサイクルを断ち切ってしまいかねない今回のような問題は、これからの大きな課題だなぁ。。。
    Depper

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    by corin_depper | 2006-03-16 02:02 | 雑記