フィルム・アカデミア
2007-04-24T22:04:41+09:00
Corin_Depper
映画を少しばかり外から眺めてみるそのカタチ
Excite Blog
“映画ファン”、そして“映画”ってなんだろう
http://kozoism.exblog.jp/5563150/
2007-04-24T22:02:00+09:00
2007-04-24T22:04:41+09:00
2007-04-24T22:02:35+09:00
Corin_Depper
雑記
というのも、GW映画についての話のなかで、オスカーで話題になった『バベル』について、解説者が「本当の映画ファンじゃないと理解できない」という旨の発言をし、またその『バベル』と解説者の言うところの“わかりやすい”映画である『ゲゲゲの鬼太郎』とを比較させて、「日本でどれだけ骨太の映画ファンが育ったか知る機会」と位置づけたんですね。要は、『バベル』が興行的に伸びなければ、もしくは『ゲゲゲの鬼太郎』がヒットでもした場合には、日本の映画ファンは“ホンモノ”ではなく、“骨太”でもないということのようです。 では、『ゲゲゲの鬼太郎』が日本で売れることが、そんなに不思議で、嘆かわしいことでしょうか?もしくは、日本の映画消費者たちの“土壌”や“センス”を疑われるようなことになるのでしょうか?“わかりやすい”映画が受け入れられることが、“わかりにくい”映画が受け入れられないことが、それほど落胆的にとらえられるべき事態なのでしょうか?逆に言えば、“わかりやすい”映画が拒絶されて、“わかりにくい”映画が売れる市場が、成熟しているとでも言うのでしょうか? 映画は、110年間以上にわたって様々に発展してきました。形式や内容で、それを表現するための編集、演技、サウンドといった技術で、幅を広げてきたのです。ナラティブに関して、例えば形式で言えば、アメリカの古典主義を“わかりやすい”映画とするなら、アンチテーゼとなる独表現主義も、仏シュールレアリスムも、伊ネオリアリスムも“わかりにくい”映画になるでしょう。内容的に言えば、フィクションは“わかりやすい”し、アヴァンギャルドは“わかりにくい”。では、ここで質問。“わかりやすい”映画は“わかりにくい”映画よりレベルが低いのか。“わかりやすい”映画を楽しむ観客より、“わかりにくい”映画を理解できる客、もしくは理解できなくても見に行く客のほうがレベルが高いのか。………すごくナンセンスですよね。どれも映画だし、どの映画を楽しんでも映画を好きであることには間違いないわけですよね。いろんな映画があって、そこに各個人それぞれの趣向があり、考え方があり、好き嫌いがあるのは言うまでもなく当然ですが、それらの個性は優劣とは全く関係ないですよね。 消費動向として、『バベル』のような社会問題を取り挙げたシリアスで複雑な作品がウケるかウケないかとか、『ゲゲゲの鬼太郎』のような子供にもわかりやすいファミリー映画が売れるとか売れないとかいった視点でなら、投資家としては興味あるデータだと確かに思います。データで映画作品を、またその観客層を分析することは可能です。しかしながら、『ゲゲゲの鬼太郎』と『バベル』マーケットのデータを見ても、日本社会が集団的に映画の消費に関して“骨太”とか“貧弱”とか、“育った”とか“育たなかった”とか、そんな一個人の偏見や価値観でしか測れない分析は成り立ちません。まあ、別にいいんですよ、個人的にそう考えるのは自由ですし、発言がたまたま株為替情報番組を通じて公共の電波に乗って世に出てしまっただけでしょうから。でも、少なからず同じような考え方をする“映画ファン”もいるんだろうなぁと思って、少し悲しくなったのでした。
Corin
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『AFRO SAMURAI』まだTVアニメ版だけど…ここに参上!
http://kozoism.exblog.jp/5502100/
2007-04-13T15:36:00+09:00
2007-04-13T15:40:28+09:00
2007-04-13T15:36:57+09:00
Corin_Depper
Newsアーカイブ
なんとほぼ二ヶ月ぶりの更新となってしまいましたね(汗) 人生いろいろありましてですね、あははは。お久しぶりです、Corinです。さてさて、今日はちょこっとしたニュースです。というのも、私がこのブログの初投稿でテーマにした『AFRO SAMURAI』が、ついに日本解禁です!!
……とはいえ、二年前の記事では「実写版の制作は来年始まり、2007年に公開される予定」とありましたが、IMDbに実写版の情報が一切公開されてないところを見ると、結局実写版はまだまだ遠い話のようです。現実には、2007年1月にようやっとサミュエル・L・ジャクソンがプロデューサーと主役の声優を務めたTVアニメが出来上がった、という感じ。しかも二年前の時点では「アニメ版映画」を想定していたはずなので、このプロジェクト、あまり順調ではないのかもしれませんね、実際は。まあ、これくらいのことはよく起こることだと思うので、せめて中止にはならないで欲しいですなァフロ。
とにもかくにも、この『AFRO SAMURAI』、日本での放映はWOWOWにて来たる
5月3日(木)、4日(金)に2夜連続で全五話放送とのことです。興味がある方、スケジュール等の詳細はWOWOWのホームページでご確認くださいね、こちらです。ちなみに、せっかくサミュエル・L・ジャクソンが声優やってるので、吹き替えなしの字幕オンリーっぽいですよ。
Corin
公式:AFRO SAMURAI (※+18指定サイトです。)
参照:AFRO SAMURAI / WOWOW ONLINE ]]>
映画『ナイロビの蜂』と自宅の裏庭
http://kozoism.exblog.jp/5234488/
2007-02-27T02:14:00+09:00
2007-02-27T02:22:33+09:00
2007-02-27T02:14:51+09:00
Corin_Depper
雑記
随分と更新が滞ってしまって恐縮ですが、久しぶりに活性剤を投入してみます。とはいえ、自宅の裏庭を見てふと頭をよぎった思考なんですがね。裏庭を見て映画『ナイロビの蜂』のイメージがふっと沸いたので覚書。もう結構前になりますね、この映画の公開。英題が『The Constant Gardener』。この英題で記事タイトルとリンクする人は映画通かつイギリス通かもしれません(笑)
何を思ったかといいますと、この映画で非常に象徴的かつビジュアル的な暗喩です。それを考えると邦題はタイトルと映画の根本テーマとのリンクを無くしてしまっているな、と嘆かわしい気分になったわけですが、それはひとまず割愛。邦画界はこの映画をロマンスドラマとして売っていたようで、それがどうとかも、もはや捨て置きますが。さて、キーワードは、雑草、除草剤、ガーデニング、庭園植物などでしょうか。自宅の裏庭には、とってもとっても生えてくる根性のすわった雑草たちがいるわけで、これから暖かくなってきたらまた格闘だな、と思い、多少萎えた気分に・・・。いっそのこと除草剤をばら撒こうかしら、でもそしたらそれはそれで死んだ裏庭になってしまうな、と。
映画の中では、典型的なイギリス人らしくガーデニングが行き届いた庭に住んでいるわけですが、土地は英国にあらず。アフリカの大地。きれいな庭園植物で飾った庭は雑草を駆除しているから成り立つわけですよね。たしか、除草剤を意味深に眺めるシーンがあったと思います。つまり、イギリス人がアフリカの大地でしていることの縮図が自宅の庭にあった、ということなんですがね。よく考えて見ますと、そのビジュアル的な当てこすりは、イギリス人が庭園植物でアフリカに人々が雑草、ということに他ならないわけですよ。雑草を駆除することに疑問を感じる前に、アフリカンを雑草と捉えるその思考に疑問を感じたほうがいいのでは、なんて鑑賞中に思った記憶が蘇ってきたわけでした。
簡単ではありますが、この辺で。。。最後に画像を一枚載せますね。映画のワンシーンからのキャプチャー画像だと思いますが、この画像を分析するだけで、上述と全く同じことが言えるわけですが、みなさんどう思われますかね?そしてこの画像に移る女優さんがアカデミー助演女優賞を獲得したわけですよ。そして、この映画は私が所属する大学の開発学部で推奨されていた映画でもあります。あ~WASP WASP WASP・・・
といったところで、今回はお開き、また近々~。
Depper
参照:
『ナイロビの蜂』公式HP]]>
テレビと映画の境目追記
http://kozoism.exblog.jp/5016748/
2007-01-26T05:45:18+09:00
2007-01-26T05:45:18+09:00
2007-01-26T05:45:18+09:00
Corin_Depper
雑記
Bringing out the gongs in the world of media
Worst TV commercial: Daihatsu's Mira
A 16-year-old boy carries his giggling 40-year-old mother on his shoulders. She climbs down and gets behind the wheel of Daihatsu's Mira minicar, telling her son before she drives off alone, "I'm just going to have some fun." The mother is played by the actress called You and the son by Yuya Yagira. They played out the same relationship in the award-winning film "Nobody Knows," in which a single mother instructs her 11-year-old son to take care of his three younger siblings when she goes off to have some fun. She never returns.
Sunday, January 7, 2007
By Philip Brasor
これは映画『誰も知らない』の中でのストーリーを引用しているので、また母親が子供を見捨てて蒸発するということを暗示してしまい、こうした親子関係をCM内で表象するのはいかがなものか、ということですね。映画リリース当時も映画の内容と実際の事実との相違などで議論になったのを覚えていますが、そのことを踏まえても、このCMひとつ分析するで映画の中、外、中、外と非常に忙しいことになりますね。得てして媒体の枠を飛び交う議論は非常にケースセンシティブですのでね。まぁ、また何かありましたら記事にしてみようかと思います。
Depper
参照:
Asia Media:Media News Daily]]>
Un Certain Regard: テレビと映画の境目
http://kozoism.exblog.jp/4998925/
2007-01-23T22:04:00+09:00
2007-01-23T22:14:39+09:00
2007-01-23T22:04:13+09:00
Corin_Depper
雑記
現在、日本映画界は着実に変容を続けていると思う毎日なのですが、それを現象を裏付けるある一つの視点としてタイトルにあるようなテレビという媒体と映画という媒体の境界線が非常に曖昧になってきている、ということが挙げられるのではないでしょうか。この現象は、よく言えば、テレビと映画が共存共栄を始めたというべきでしょうか。悲観的な見方をすると媒体としての枠組みがあやふやになってしまい、結果飽和してしまって、最終的に危うさを抱えるのは映画界なのではないかな、なんて暇のないときに限ってそんなことが頭を右へ左へ飛び交います。
今回は一つの顕著なれ例として、ダイハツ「ミラ」のCMを挙げたいと思います。ワンダフルスモール。テレビは昔から欧米では映画の大きなスクリーンと比較して、スモールスクリーンと呼ばれたりするわけですが、そういう意味でもワンダフルスモールなんでしょうかね。ワンダフルは、『ワンダフルライフ』から来てたり・・・。さぁ、それはさておき、このCMには映画作品が引用されているわけです。是枝監督の『誰も知らない』なんですが、その映画で登場する親子(柳楽君とYOU)が、そのままの母子設定でCMに登場していますね。半分表象論になってしまいますが、その映画で表象される母と子、その関係のイメージを使っているのは明らかなんですが、興味深いことはその映画からの時間軸をそのまま現時点に以降させているということではないでしょうかね。つまり、子供役だった柳楽君は一見すぐに成長していることが伺えますよね。確実に少年期を過ぎ、青年期の始まりへと成長しているわけで、その大きくなった彼が母であるYOUを肩車をしているわけです。つまり、映画の設定から私達現実世界の時間分過ぎたことを前提に、あの親子は今、という形で提示されてるわけです。それをうまくダイハツさんが、子離れの時期がきたら、お母さん、車でも買い替えてみませんか、「ミラ」に乗って第二の人生を謳歌しませんか、と訴えているわけです。
映画の中で他の映画を引用することは珍しくありませんし、また映画の中で時代反映、社会の鏡的に時代時代を表象するテレビ番組が流れていたりするのも珍しくありません。よく、ビッグスクリーンの中のスモールスクリーン、という概念で研究したものも目にします。がしかしですね、テレビの、さらに、CMという媒体の中で映画を引用する、これは得てして画期的なことではないかと思うわけでして、冒頭で言ったように、顕著な現象の一つとして数えられると思うわけです。
また例えば、映画は商業的繁栄を享受するために、抱き合わせ商法、俗に言うtie-in(タイイン)と呼ばれる奴ですが、つまり、映画で使われた音楽や主題歌をサントラなどで売り、Tシャツやキャラクター商品も売り出す、原作があれば原作本を新たに、もしくは脚本を小説化などなどしてきたわけですね。では、果たして、このダイハツ「ミラ」の映画引用CM(勝手に名付けますがね)が果たしてこの従来の抱き合わせ商法と同じカテゴリーとして扱ってよいものでしょうか。厳密に言えば範疇から逸脱してるわけですが、今後この手の引用をどう分類していくのか、これもまた研究課題になるのではないかと思われるわけです、はい。結果はどうあれ、テレビと映画の境目が変容していくのを、非常に興味深く観察していきたいと考えている今日この頃でした。
Depper
参照:
ミラカスタムTV-CM オンラインショーケース
映画『誰も知らない』公式HP]]>
『40歳の童貞男』:オタクのフィギュアとVirginity
http://kozoism.exblog.jp/4900883/
2007-01-12T03:27:00+09:00
2007-01-13T07:22:04+09:00
2007-01-12T03:27:16+09:00
Corin_Depper
レビューと考察
寒中お見舞い申し上げます。Corinです。今日のレビュー作品は、『40歳の童貞男』(原題『The 40 Year-old Virgin』)となっております。適切な言葉を選ぶのが面倒くさいので簡潔に内容を説明すると、40歳の童貞男が童貞を卒業するために大騒ぎする、って話ですね。まあ、なんて言うか、タイトルのまんまなんですけどね。
この映画、いかにも学問の世界で無視されちゃいそうな作品なんですが、非常によく仕上がっています。というのも、とっても分析しやすく、わかりやすいんですね。この(いい意味での)単純さこそが、Box Officeで成功を収め、主役のSteve Carellを一躍ハリウッドで有名にした所以なんじゃないかと思います。ちなみに、この『40歳の童貞男』は2005年の全米Box Office 25位で、『SAYURI』こと『Memoirs of Geisha』は27位で負け。逆に上位を見てみると、23位は『Walk the Line』、24位は『Brokeback Mountain』。オスカー受賞作品に見事に挟まれてますね。とはいえ、『40歳の童貞男』はオスカーこそ掠りもしませんでしたが、それなりに賞レースにも食い込み、特に批評家からの人気が高い作品です。
さてさて、つい無駄話をたらたらとしてしまいましたが、今回注目したいのは、主役のアンディと、彼の所有するフィギュア・コレクションとの関連性です。主役のアンディは、内向的で、保守的。それを示すように、彼は人数合わせでポーカーに誘われるまで、一度も会社の同僚と飲みに行ったこともなく、ゲームとフィギュアのコレクションに囲まれた自分のおウチにいるのが大好き。ウチに篭って、一人でゲームに集中し、フィギュアに話しかけ、毎日を同じリズムで繰り返す。一方、彼は一見かなり地味だけど、実はユーモアに富んでいて会話も面白く、女性からはオーウェン・ウィルソン(ルークの方かも… どっちか忘れました 汗)に似てると言われるくらいかっこいいし、しかも心優しい魅力の持ち主。ここで考えてみてください。アンディって、フィギュアそのものじゃないですか?
アンディの集めているフィギュアは、全部「箱入り」ですよね。その理由を彼は、市場で「箱つき未開封」のほうが価値が出るから、と説明しています。そして、フィギュアのキャラクターのほとんどが脇役級。かっこいいヒーローのフィギュアは誰にでも人気があるので大量生産されるため価値が出ませんが、脇役は一部の人間にしかその魅力を認識されないが故にあまり人気がなく、手に入りにくいので、これまた価値が出るんですね。そしてそして、アンディ自身も彼のフィギュア・コレクションと同様に、家という「箱」に入って、世間に出て汚されることもなく「未使用」な状態を貫いたまま、その「魅力」をシャツinスタイルの裏に隠し持った、貴重な存在だと言えるわけです。
すったもんだして、最後にはアンディは「箱」だった家から飛び出して最愛のトリーシュと結婚、Virginを卒業し、彼のフィギュア・コレクションも世に(オークションに)出て50万ドルの値をつけました。結婚式でアンディの同僚が、「(自分の子供にも)おもちゃを買おう」と発言していますが、これ、非常に興味深いです。もちろん、表面的には「今のうちにおもちゃを買って、新品未開封のまま保存して、40年後に売って儲けよう」という意味がありますが、一方で処女崇拝的な意味合いもプンプン感じられますよね。
以上、なんだか長くなってしまいましたが、『40歳の童貞男』という作品のなかで、アンディのフィギュアは、アンディ自身のメタファーされた姿、分身なんじゃないか、ということでした。この作品を通して今回私が考えたのは、映画において、オタクが集めるフィギュアというは、Virginityつまり(性別問わずの)処女性の象徴なんじゃないかな、ということです。別にオタクはVirginだとか言ってるわけじゃありません。実際はフィギュアを箱から出して思う存分遊ぶ方もいらっしゃるでしょうし。ただ、映画のなかで、象徴として機能しているんじゃいないか、と申しているわけであります。そういった点で、あの『電車男』をもう一回見てみたくなりました。ところで、この映画は男性が主役ですが、同じような設定で女性を主役にした映画ってありますかね?
Corin
公式: http://www.eiga.com/official/40DT/ (日本語)
http://www.the40yearoldvirgin.com/ (英語)
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『嫌われ松子の一生』と「母親」の不在
http://kozoism.exblog.jp/4828070/
2007-01-01T04:20:00+09:00
2007-01-01T04:21:23+09:00
2007-01-01T04:20:39+09:00
Corin_Depper
レビューと考察
皆様、あけましておめでとうございます。2ヶ月ぶりの投稿となります、Corinです。さてさて、今日は久しぶりにレビューを書きますよ。映画は、先日年末のDVD半額レンタルで借りた『嫌われ松子の一生』。いやいや、キャスティングが豪華ですね~ぇ。個人的にはもうそれだけでお腹いっぱい楽しめちゃうんですが、それは置いといて…。
ちょっとまじめに考えてみました。というのも、観終わったあと、ひとつ気になることがありました。この話には、「母親」が出てこないんですよね。妹への嫉妬あり、父親と兄との確執あり、でも母親はストーリーに絡んでこない。時代背景的にも、演出的にも、松子の家族が厳格な家父長制なのは明らかなのですが、家族というテーマが大きく扱われる割には母親が不在なんです。
では、他の登場人物を見てみると……、「嫌われ松子」は実は女性からは「愛され松子」なんですよね。松子が苦境に立っているとき、助けてくれるのはいつも女性です。例えば、愛人に捨てられてソープ嬢になろうとしたとき、拾ってくれたのがBonnie Pink演じる綾乃。刑務所時代の親友であり、仕事もせず引きこもり生活を送る松子を救おうとする沢村めぐみ。彼女たちは一見、母性を持って松子に接しているようにも見えますが、「母親」ではなく、「独立した女性」です。綾乃はソープ嬢を辞めたあと小料理屋を開くと発言していますし、沢村めぐみはAV女優兼AV制作会社の社長です。いわば2人とも、家庭に入って主婦になるわけではなく、自分の力で生計を立てていくプログレッシブな女性像を演じているわけです。そして、めぐみに名詞を渡された松子は、「まだやれる」と、自らも美容師としてやり直すことを決意しています。男にすがることもなく、よって母親になることもなく。
最後に、松子の教え子であり、恋人であった龍は「松子は俺の神だったんです…」と言っています。そう、彼女は「マリア様」ではないんです。こうして「母親」という女性の役割やあり方が無視されたままストーリーが完結していく『嫌われ松子の一生』。ドラマのほうは見てなかったんですが、ストーリーとか設定は全く同じなんでしょうか?どなたか、よろしければ教えて下さい。
何はともあれ、2007年もフィルム・アカデミアをどうぞよろしくお願いいたします!
Corin
公式:http://kiraware.goo.ne.jp/]]>
『武士の一分』『硫黄島からの手紙』覚書
http://kozoism.exblog.jp/4797558/
2006-12-26T14:48:00+09:00
2006-12-26T14:48:00+09:00
2006-12-26T14:48:00+09:00
Corin_Depper
レビューと考察
まず、『武士の一分』でありますが、三部作の三作目という見方をしますと、ある傾向が見受けられました。時代劇という映画ジャンルで見ますと、三作目は非常に古臭い時代劇のジャンルの雛形へ寄り戻っていくフレームワークとなっておりました。そしてドラマはと言いますと、非常に『寅さん』化をしている、つまりこれも山田洋二流という意味では古臭いドラマ仕立てへと立ち戻っていく、そんな姿に見て取ることができました。どこが、どのようにというのは、挙げだすと切りがないのですが、両者に共通するところをあえて挙げますと、登場人物達のアイデンティティと言えるのではないでしょうかね。その時代そのままの価値観しか持ち合わせておらず、もしくは、映画が進むにつれそういう方向へどんどんと流れていってしまい、現代人が同等に共感できるようなところが減り続けます。それを踏まえまして、当時の価値観の中での人情・人間模様がわかり易いメロドラマ的に行われるわけです。逆に現代人我々の目が向くところはテレビのお茶の間劇場にも似た含み笑い的描写ややり取りがあるところで、これが登場人物のアイデンティティではなく、しぐさや行為に、という点でこの作品に限れば面白いところかな、という感じでした。一言で三部作の三作目としてコメントするのであれば、一作目の『たそがれ』で構築されたフレームワークの柱を4,5本抜いた骨抜き平屋建てといったところでしょうかね。その抜け落ちた部分を細かに分析してみると更に面白い発見ができそうです。
さて、次に『硫黄島』ですが、対になる作品『星条旗』をまだ見てないので比較コメントができません。が、しかし、戦争映画としては非常に優等生的にジャンルとしての雛形を使っているな、というのが第一印象でした。ただ、色やドラマのトーンを抑えているので、詩的ですね。批評家の受けは悪くはならないであろうということはわかりましたね。『武士の一分』にかけている一人称視点での物語り形式も行われていて、これもまたオーソドックスであり、かつグローバルな観客の鑑賞に堪えられる作りになっていますね。全体として、反戦一色ではない『シンレッドライン』に近い、ヒューマニティに対する問題提起的な中立的な描写に終始しているので、イーストウッドはやはりセンシティブな感性をもった映画作家であるという太鼓判のように映りました。このあまりに優等生なしあがりが賞レースにどのような結果をもたらすものか、楽しみですね。
と、いったところで、今回はこれまで。また何かあればその都度書き留めたいと思います。
Depper
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The Millenium Copyright Act
http://kozoism.exblog.jp/4641146/
2006-11-29T10:19:00+09:00
2006-11-29T10:23:29+09:00
2006-11-29T10:19:02+09:00
Corin_Depper
Newsアーカイブ
http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=6545255
Academics Get Exemption from DVD Copyright Law
All Things Considered, November 27, 2006 · The Digital Millennium Copyright Act made it illegal to reproduce copyrighted material from DVDs -- even short excerpts. That proved to be an enormous obstacle to the professors of college film-studies programs, who wanted to be able to burn discs of selected scenes for their classes.
Three professors from the University of Pennsylvania asked for an academic exemption to the law. And surprisingly, they say, it has been granted. From member station WHYY, Joel Rose reports.
Depper
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Youtubeでクラシックアニメ
http://kozoism.exblog.jp/4611763/
2006-11-25T03:32:40+09:00
2006-11-25T03:32:40+09:00
2006-11-25T03:32:40+09:00
Corin_Depper
雑記
http://www.youtube.com/watch?v=EH1v4vkUBt8(1943年)
http://www.youtube.com/watch?v=WyGvGMa2RFg&mode=related&search=(1933年)
Depper
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オンライン映画ジャーナル「SCOPE」更新
http://kozoism.exblog.jp/4556019/
2006-11-15T23:10:21+09:00
2006-11-15T23:10:24+09:00
2006-11-15T23:10:24+09:00
Corin_Depper
雑記
このブログにも長らくリンクを張っていますが、英国はノッティンガム大学が運営するオンライン映画ジャーナルSCOPEのISSUE6が更新されました。自身の経験からしましても、オフラインでの学会誌・ジャーナル出版は印刷校正など非常に手間と労力を割かれますが、オンラインでは校正もワード上で出来たりと出版までの迅速化はこれから研究者達にはますます重宝されるのではないでしょうかね。オンライン・オフラインでのジャーナル出版を始めるケースも最近目にしますしね。さて、個人的にも興味深い論文が発表されたりしています、興味のある方はどうぞ。インターナショナルな視野で映画学を研究している人には一読の価値があるものがあると思います。
Depper
参照:
http://www.scope.nottingham.ac.uk/issue.php?issue=6]]>
David Bordwell's "Ozu and the poetics of cinema" now online!!
http://kozoism.exblog.jp/4532861/
2006-11-12T03:15:00+09:00
2006-11-12T03:17:18+09:00
2006-11-12T03:15:47+09:00
Corin_Depper
雑記
長らくお暇を頂いておりましたが、久しぶりに更新です。数々の映画学書を手がけてきたデイビッド・ボードウェル氏がこのたび自書をオンライン閲覧化に踏み切ったようです。書のタイトルはこの記事タイトルにあるとおり。徐々にこういう時代がくるのだなぁとすこししみじみ。嬉しいニュースですね。↓にボードウェル氏のブログURL、PDF化されたものを閲覧できるサイトのURL等を紹介しておきましたので興味のある方は参照あれ。
参照:
http://www.davidbordwell.net/blog/?p=59
http://www.hti.umich.edu/cgi/t/text/text-idx?c=cjs;cc=cjs;idno=0920054.0001.001;node=0920054.0001.001%3A4.4;frm=frameset;view=toc
Depper
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『上海の伯爵夫人』が日本に来ますよ。
http://kozoism.exblog.jp/4401134/
2006-10-22T23:30:00+09:00
2006-10-22T23:39:00+09:00
2006-10-22T23:30:40+09:00
Corin_Depper
雑記
今日はひとつ来週末に公開される映画の紹介をしていきたいと思います。その名も『上海の伯爵夫人』(原題:The White Countess)。この映画に興味を持ったのには2つの理由がありまして、一つ目は私Corinが得意とするMerchant Ivory Productionの最新作であるということ。もう一つは真田広之が出ていること。あと、あえて言えばKazuo Ishiguroが脚本を書き下ろしたというのも気になる要因の一つです。
Merchant Ivory Productionといえば英国を舞台にした映画を想像する方も多いと思いますが、『上海の伯爵夫人』は1936年の中国、上海が舞台。世界大戦によって、それまでの価値基準や秩序が崩れ去っていく時代です。登場人物は、地位を失った盲目の元アメリカ人外交官ジャクソン(レイフ・ファインズ)、ロシア人伯爵夫人ソフィア(ナターシャ・リチャードソン)、そして“中国政府に恐れられる男”である日本人青年マツダ(真田広之)。ううううん、待てよ!!??設定にイギリスもイギリス人も出てこないぞ!?というわけで、非常に気になったのでございますよ。
しかし、この映画、アメリカでのリリースは昨年の2005年12月なんですね。イギリスでは2006年3月末、そして日本が10月28日・・・・・・てか、日本に来るの遅くね!?ってなわけで、ちょっとマツダの役柄がどんなもんか心配になったりもします(苦笑)。欧米ではアート・ハウスにマーケットを絞ったようで、日本でも単館を中心とした少数での劇場公開となるようです。Box Office Mojoによると、アメリカで総収入は$1,669,971、英国で$524,341(面倒くさいので各自日本円に換算して下さい…)。日本のマーケットを比較的得意とするMerchant Ivory作品ですが、今回は一体どうなるのでしょう。だって上海、アメリカ、ロシア、それにちょこっと日本ですよ??正直、非常に気になるところです。観たいという方は、是非下記のサイトを訪れて調べてみて下さいね。
Corin
公式:http://www.wisepolicy.com/thewhitecountess/
参照:http://www.imdb.com/title/tt0384686/ (IMDb)
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ジブリとリチー 2人は仲良し!?
http://kozoism.exblog.jp/4365188/
2006-10-18T00:02:00+09:00
2006-10-18T01:07:56+09:00
2006-10-18T00:02:28+09:00
Corin_Depper
雑記
さてさて、先日Depperよりドナルド・リチー氏が講演をするとの投稿がありましたが、今回もリチー氏情報で。
以前ジブリ美術館の見学レポートを書いた際にちょっと触れたのですが、やはりやはり、ジブリはリチー氏と親交が非常に深いようです。というのも、スタジオジブリ出版部から毎月発行されている小冊子『熱風』にて、今月号からリチー氏の連載が始まるとのことです。HPに掲載されている詳細情報を以下に紹介します。
『熱風』次号より、ドナルド・リチーさんの連載が始まります。(2006.9.22)
今年の1月にジブリLibraryの一冊として発売された『映画のどこをどう読むか』。これは、1984年にキネマ旬報社から発売され、それを復刻したものです。
この本の制作過程で、著者のドナルド・リチーさんといろいろとお話をすることができました。そんな中、雑談のようなかたちで、最近面白いと思った映画は何ですかと聞くと、挙がってきたのがアレクサンダー・ソクーロフや是枝裕和らの作品でした。ではそういった監督たちの作品を取り上げて、『映画のどこをどう読むか』のパート2ができませんかという話をし、快諾を得、そこから新連載のプランを練り、ようやく10月10日号から連載を開始することになりました。
第1回に取り上げた作品は、アンドレイ・タルコフスキー監督の「ストーカー」です。以後、隔月のペースで連載を続けていく予定ですが、現在のところ想定しているラインナップをリチーさんに聞いてみたところ、知る人ぞ知るという名作がずらり。中には僕もまだ観ていない映画などもあり、少々焦りました。今回は、DVDなどで観ることができる作品がほとんどなので、これから観て勉強せねば!と思っています。(ち)
スタジオジブリ出版部HP『出版部だより』
(http://www.ghibli.jp/shuppan/diary/d_index.html)より抜粋
お恥ずかしながら未だ一度もこの『熱風』という冊子を読んだことがないのですが、もしかしたら『キネマ旬報』よりもずっと読み応えがあるかもしれませんね。規模は英国の『Sight & Sound』には到底適わないとはいえ、映画批評誌としてはそれなりにクオリティーの高いものっぽいです。
ちなみに、ぜひ読んでみたいという方、この小冊子の詳細や入手方法はhttp://www.ghibli.jp/shuppan/np.html#koudokuをご参考になさって下さい。
Corin
参照:
http://www.ghibli.jp/shuppan/index.html (スタジオジブリ出版部)
http://www.ghibli.jp/shuppan/np.html#koudoku (『熱風』)
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山形国際ドキュメンタリー映画祭、文化芸術交流賞受賞
http://kozoism.exblog.jp/4265074/
2006-10-05T12:31:00+09:00
2006-10-05T12:35:38+09:00
2006-10-05T12:31:58+09:00
Corin_Depper
Newsアーカイブ
2006年度の国際交流基金(Japan Foundation)の国際交流奨励賞の一つ文化芸術交流賞として山形国際ドキュメンタリー映画祭実行委員会へ200万円が送られたそうです。これは国際映画祭を運営する委員や組織にとって非常に明るいニュースじゃないでしょうか。確かに山形国際ドキュメンタリー映画祭は名実規模ともに誇れる国際映画祭になりましたものね。並々ならぬ努力がそこにあったのだと想像に難くありません。なにしろ、ほとんど商業ラインに乗らない映画ばかりでしょうからね。東京国際映画祭のある意味対極にあるような映画祭ではないかと思います。それにしても、金200万円・・・されど200万円・・・。秋は映画祭の時期ですね、頑張れ映画祭。
Depper
参照:
国際交流基金HP
平成18(2006)年度 国際交流基金賞/奨励賞
ニュース記事(Japan Times)]]>
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https://www.exblog.jp/
https://ssl2.excite.co.jp/